MUZMUZ 15  藤 井






瞑想自省録-2025-07   2025.07/17
       

  「1」   自分の先祖のこと。

  Wikipediaに出さないか?という話があって、改めて自分の過去を振り返ってみた。
  瞑想的な発想によると、
  子どもがこの世に生を受けるのは、子供がこの世におけるミッションを達成するために、
  どの国の、どの時代の、どの両親のもとに誕生するのがベストかを考えて、
  自分で両親を選んで生まれ変わってくるという。

  私は何故「日本で、この時代で、 政(正??)枝の両親の元で生まれたのか?
  何故私は三人兄弟で、私は次男坊なのか?  
  そして自分の人生でどのように自分のミッションを達成していったのか?
  自然(神・ゼロポイントフィールド)は、
  この人生で私が何を学び、どう成長していくことを期待しているのだろうか?
  自分の先祖のことを全く知らないし、知らされてもいない。

     藤井家の先祖は? 母方の川口家の過去は?  
     父が亡くなる数年前に過去帳を探し、先祖を辿っていたことを思い出した。
     兄弟で一度探してみないといけない。

  「2」   スポーツ観戦の楽しみ。

  スポーツは、やるもので観戦するものではないと長い間考えていた。
  さわやかな、自然体の大谷に興味を持って、ドジャースを観戦しているうちに、
  スポーツ観戦の楽しさに気がついた。ストレスの癒し的な効果もあるのだろう。

  過去自分がやったスポーツの観戦の方が俄然面白い。
  野球、テニス、卓球、ゴルフ、バレーボール、バスケット。ルールがわかり、
  肌で感じる。サッカーはもう一つ気分が乗らない。
  若い時に運動でも楽器でもなんでもやっておくべきだった。

  



WORD click


旧ページ  25/06/21