MUZMUZ 15  山 本





2022年12月14日 人生

第七回
何と素晴らしい人たち、素晴らしい人生。



* 毎朝8時、NHK朝ドラ「舞いあがれ」を視て、中谷一郎君を思い出しています。
  彼はどんな教官だったのだろうと思いながら、空を見上げて手を振っています。
  彼からの最期の言葉にあったとおりに。

* 何度も書きたいと思っていながら 文章に表現しようとすると 
  どうも巧くいかなくて何度も何度も書き直しするが、それも気に入らなくて
  またやり直しする。
  自分に与えられたこの施設で、今日も目の当たりにする実に多くの老いた人たちと
  介助者たちの美しい人間模様を、書いた文章が他人の目に触れ読まれるとなると、
  尚更のこと 当の人たちの人となりについて誤解されるような書き方は
  絶対避けねばならない。表現能力の乏しく貧しい自分に泣きたくなってしまう。
  それでも何故か書き残しておきたい人間の素晴らしさについてである。
  それはきっと最高最上の被造物だから。

* この施設の入居者には、入居当初から単身で入居する場合が多いが、
  反面、入居時は夫婦二人で入居したけれど、
  年が経つてどちらか片方だけが残るケースは決して少なくない。
  ある人は心身ともに弱ってはいても 柔和に介助を受け入れ、
  ある人は何が何でも自我を主張して介助者を困惑させ、
  ある人は何もかも判らなくなって 黙して全てを介助に委ねる。
  また、残された老いた者同士が互いに助け合う姿もある。
  あさげの懐かしい味噌汁の香りが、通りかかった老女の部屋の扉の隙間から
  隣の部屋の扉に流れ込んでいる。
  94歳だという老女は 朝刊を持って87歳の老人の部屋から出てきた。
  ちょっと貸してねと、ひとこと言って。元気な声が廊下に響く。

* これらの人たち夫々に適した介助や必要な支援を、優しく力強く忍耐強く、
  さっぱりと気持ちよく提供する人たちがいる。
  介護介助する者を思うとき、とても受け入れられない場面に
  出会うことも少なくない。でも、それを何とかして受け入れこなすの。
  さすがにプロである。これは技術?・・プラス“心”。
  介護に携わる職業を選んだ理由は“人が好きだから”という。
  いつまでもそうあって欲しいと願う
  時々思う。自分はどんな介助や支援を受けるだろうか、
  どの様に扱われるのだろうか。どんな老人でいるだろうか、
  嫌われる人か、好かれる人か。
  出来ることなら好かれる人になっている方が良い。
  その見本と毎日出会っているではないか。

* 夫婦の素晴らしい姿について観察。舞台は全て食堂。
  ここで交わす会話や動作について、プライベート侵害に留意しながらの
  メモ書きから抜粋。

(1) 入居一年目のA夫妻の場合。
   未だ70年代と思える夫は足腰が悪く、杖を使ってはいるが
   肉体は至って健康的で力強く、楽しく会話するので、
   この夫婦と我々夫婦は大接近した。
   妻同士は、仲良く話が出来る相手が出来たと喜んでハグし合った。

   或る日、認知症が進んできたという妻を あれこれ細かく気を使いすぎて、
   その夫が 自らの手で箸を持った妻の手をおかずの入った器の方に
   引っ張って「これを食べないと栄養が取れないよ!」と、
   声高に説得している。
   妻はしばらく 器をつっついていたが 食べようとはしない。
   そして、とうとう箸を投げ出してしまった。
   思わず夫は 妻の頭をコツンと小突いてしまった。
   これを見た私の妻はDVを感じたという。
   他人の目にはそう映るかも知れない。

   そのことがあってからしばらく後、
   毎朝、玄関から妻をデイサービスに送り出し、
   帰宅時間には玄関で迎えを待つ夫の姿があった。
   介護スタッフの勧めで、
   夫のいない所での食事や入浴が出来るかを訓練してみること、
   また、夫自身の心身休息の機会にする、とのことであった。
   3ケ月ほど経って、妻だけが、折角入居したこの施設を出て
   娘の家に移っていった。
   夫は言った、今は娘には苦労をかけるかも知れないが、
   妻にとって良い方を選んだ。・・・どうしようもなく疲れていたが、
   大分楽になった。
   杖を使ってではあるが、入居してきた当時を思い出したように、
   再び力強く歩み出した姿があった。

(2) 入居八年目のB夫妻の場合。
   同年配のご主人に出会ったのは夜の風呂場。
   「こんなに幸せな時間があることは有り難いことです」と、私。
   「そうですネ。ここに入る前に色々調べましたが、
   こういう大浴場があるところは無かったです」
   「そうですか。いやー、幸せです」

   それから毎晩、ほんの僅か、一言二言ではあるが会話を交わすようになった。
   或る時、食事はどうされているか尋ねてみた。
   食堂では会ったことが無かったからである。
   殆ど歩けない妻のために自室で食事を作ってあげていることが分かった。
   また、或る日、車椅子に妻を乗せた彼とエレベーターで出会った。
   「今日は」と声をかけると マスクをして大きな瞳の黙礼が返ってきた。
   それ以上の会話は無かった。
   
   そして、或る夜の食堂で、一人で食事している彼の姿があった。
   「家内が入院したので・・・」「そうですか。ご心配ですね」
   「一ヶ月くらい入院しなきゃあならないって言うし、
   もうダメかも知れないのですが、どうしているのか・・・
   これまで自分が作る料理しか食べてこなかったし・・・」
   「でも、先生がそばにいて、専門家が考えて下さっているのですから、
   お任せして良いのではないでしょうか。
   案外、楽しんでおられるかも知れませんよ。
   ご主人もご自身を休ませてあげて、
   この食堂の味を楽しんでみてください」
   「コロナで、電話でしか話しが出来ないんです」

   それから毎晩のように、食堂で会い、
   時にはサッカー・ワールドカップの戦況を話題にしたりした。
   そして、「あさって、退院になりました。もうダメかと思っていたので、
   ホットしました」と笑顔があった。

   退院後の二人の会話を、食堂で、初めて聞いた。周囲を全く気にしていない。
   嬉しそうなソプラノの高い声は、母親に甘える子供のようであった。
   応える彼の話し方は想像を超えて優しく、動作は機敏であった。
   「食べたくないの? 食べられないの? 栄養を取らなきゃー。
   アイス(クリーム)、食べる?」「うん・・」

   もうダメかも知れないと思っていた妻が戻ってきたのだ・・・
   彼の心境を思う。周りを囲む皆が 笑顔で見守っている。

(3) 入居一年半経ったC夫妻の場合。
   ご主人は元海上自衛隊の出身であるという。
   長い間、日本を離れ、家族と離れて生活することに慣れていたし、
   元々佐世保が駐屯基地であったが、それでも派遣される基地が変わる毎の
   転居は26回に及んだという。
   除隊後の生活は一変した。娘たちは嫁ぎ、
   そして、二人は家の近くのこの施設に入居した。
   
   いつもどこで会っても 夫婦二人で行動する、いつも一緒である。
   一人でいるのを見たことが無い。
   いつもご主人が物静かに妻に寄り添い、妻の話を聞いて
   あれこれするのを リードしているのだなあーと、思われる。

   二人で柔和な会話が交わされている。「今日は火曜日ね。フォ・・・ね」
   「何だったっけ?あの歌」「“初恋”でしょう。“愛の賛歌”も良いわね。
   それから・・・」と妻。どうやら、誰それの合唱曲のTV番組のことらしい。
   会話の内容では妻に認知症が始まっているとは 全く感じられない。

   入居して一年が経った頃から妻の動作に、おや?と思える少し異変が
   見受けられるようになった。
   椅子に座ろうとしているのだが、その椅子の位置は、かなりずれている。
   このままだと尻餅をつく。
   動作がゆっくりなので、腰を下ろす前に、
   何時も一緒にいるご主人が気付いて、
   妻の脇を支えてから 椅子をたぐり寄せる。無事に座れた。

   また、ある時、同じテーブルの私の正面で、箸を逆さまに持って、
   先が太くなった方で 食べものをつまもうとしているので、
   「フォークを持ってきましょうか?」と私は声をかけた。
   声を聞いて顔をあげたが、箸には気がついていない。
   ご主人の方が気付いて箸を取り、紙ナフキンで綺麗に拭き取ってから
   妻に持たせた。

   その後、一カ月間、妻はショートステイで別の施設に入った。
   「いやー何だかスースーと落ち着きませんねー。
   未だ三日しか経っていませんが、急に一人になってしまって」
   「でも、病院とは違いますから、いつでも会うことは出来るのでしょう?」
   「いや、絶対に行きません。癖になると行けませんから」
   「どちらの癖に、ですか? ご主人の、それとも奥様の方の?」

   「家内の方ですよ。ボケが出てきているので、
   自分がどこにいるのかも 分からないのかも知れません」
   「航海中、早く家に帰りたいと思われたでしょうね?お国のためとは云え。
   逆に奥様の方が一人生活に慣れておられるかも知れませんね。
   耐えなければならないのはご主人の方ではないですか?」
   一ヶ月後、
   「いやー、いい訓練しました。
   未だ永遠に帰ってこなくなったわけではないのに、
   一人暮らしの寂しさを経験しました。修行が足りませんなあー」
   一人でいる私を思っての言葉を、有り難く受け止めた。

   皆んな、それぞれに、心から家族を思いやりながら、
   素晴らしい人生を生きている。

   終わり



旧ページ 2022/10/20