MUZMUZ 15 山本
2021/12/10 近況 第三回 ご無沙汰しました。山本です。 高齢者住宅に入居して一年が過ぎました。その暮らしぶりを引き続き記して参ります。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ![]() (居室の窓の外は色とりどりの屋根) * 朝6時、今朝もNHK FM放送の目覚ましスイッチが入る。未だ起き上がらない。 暫くはぼんやりとその日に組まれたバッハのチェンバロを、ちょっとうるさいんじゃない、 も少し寝てたいんだけど、と思いながらうとうとしている。夜明けが遅くなった。 ようやく居室の窓から建て込んだ屋根の向こうに大空が広がり始めた。 「横浜は曇り。洗濯物は乾きにくいでしょう」伊藤みゆきさんの声。さあってと、起きるか。 * 「飲食を伴う外出について」という告示が掲示板に張り出された。 外でする食事には高い感染リスクを有していると説明している。 結論は、外食した場合には、帰宅してから『一週間』、他との接触を避け、大食堂、大浴場、 談話室、買い物バスなどの利用を禁止され、もっぱら個室での生活を求められる。 風呂は自室の風呂にすればよいが、食事は、食材を買ってきて自炊するか 弁当などを買ってくるかせねばならない。 そうしない限り、やむなく食堂から個室へ配膳してもらうことになるが、 この際、配膳料は請求しないので申し出て欲しい、としている。 高齢者を感染から守るためには これくらいの厳しさがあって当然といえば当然のことなんだろう、と思い直した。 * 所属教会主催の黙想会に参加した。土曜日、午前10時から午後3時まで、昼食は各自持参。 通常の感染対策は万事行われた。マスク着用、検温、消毒、座席の距離、換気。 黙想会なので参加者は黙想が主であるには違いないが、 分かち合いは最小限の時間で話し合うことが許された。そして、昼になった。 食時は何処で食してもよいが、一切話しをしないこととされた。 天気がよかったので庭に出ることが出来た。自分は愛車の中で弁当を食した。 黙想会の終わりを締めくくるミサ。 聖体拝領では、一つ杯の御血に各自がいただいた御体を浸して拝領した。 クイズ: 1. 車の中でした食事は外食か? 2. 聖体拝領は外食か? * この6ヶ月間に新しく4組の夫婦が入居し、皆の注目を浴びている。 年代順に、最も年配に見える80代後半のご主人Jさんは手押し車を押して歩くが、 話す声の素晴らしいバリトンの響きに魅了される。 彼の後にはいつも一歩下がって付き添う奥ゆかしいご夫人の姿がある。 次に年配のご主人Yさん、健康上の問題はなさそうに見えるが、 痩せ細ってはいるけれど背筋は真っ直ぐに伸びたご夫人を、寡黙に優しく支えている。 その次は80代そこそこのMさんご夫婦、 二人とも幼い友達同志のように、いつも一緒に仲良く行動し、皆に笑顔で挨拶を交わす。 そして、最も若く見えるご主人Fさんは 自ら不自由な右足を杖で支えながら、認知症の現象が伺えるご夫人の動作を 優しく補助し支えている。 どの夫婦もそれぞれに優しさが感じられ、周辺の皆も優しく支える。 思えば自分達夫婦も、入居した当時は皆から観察され、受け入れてもらい、 助けられて今日があるのだ。感謝せずにはおれない。 * 『その時』は、或る日、突然やってきたわけではない。 ゆっくりと、静かに、本当に少しずつ、時には忘れてしまいたいほどの時を経て、 忍び寄ってきた。 遡ればおよそ10年前、妻に肺がんが見つかった。 この時、『その時』がいずれはやってくることを覚悟した筈である。 しかし、5年が経過して『その時』が遠のいたかのような淡い希望を抱きかけたこともあった。 が、脳転移が判明し『その時』が大波のように高くうねった。 以降、大病院へ通い続けた。かかりつけ医から「このままだと共倒れしてしまう」と云われて、 この施設に入ることを決めた。 「そんなに簡単に死なせてたまるか、、、」。一年前のことである。 しかし、次第に病院に通う体力も失せ、8月、在宅医療の訪問医に委ねることになった。 そして一ヶ月経った。 「もうそれ程長くはないので近親者には知らせておかれるのがいいのでは」。 その日のうちに病者の塗油の秘跡を授かって、一週間も経たないうちに 「あと2−3日」と告げられた。 9月24日20時頃、『その時』はやってきた。誰にも邪魔されたくない。 二人だけの最期の時間を静かに過ごしたいと心からそう思った。よく頑張った。ありがとう。 初めて出会ってから・・・およそ60年間、与ってきた妻を主にお帰しした。 どうか全ての苦しみ悲しみから解放してください。御国に迎え入れてください。 永遠の安らぎをお与えください。
* ハイビスカス。毎朝、エレベータホールに来ると、 大きな朱の花が「おはよう。元気かい?」と出迎えてくれる。 80過ぎの一人住まいのご婦人が、自室のベランダ一面に様々な鉢植えの花を育てているという。 このハイビスカスはその内の一鉢だ。 濃い緑の葉を従えて咲く朱、それは、早朝、人が未だ眠っている間に花を開き、 昼間は精一杯元気を放ってくれる。そして、夕暮れに花を萎ませる。 が、いつの間にか、次に咲く蕾が膨らんで、翌くる朝、皆を楽しませる順番が廻ってくるのを 待っている。「ありがとう。今日も頑張るからよろしくね」 * 「お読みになりませんか。ゆっくりでいいですよ」 小さなメモ用紙が付いた文庫本2冊が郵便ボックスに入っていた。 女流作家の推理小説、上下2冊。お世話上手なご婦人からである。 暫くは何だかんだ書類の届出に忙しく動き回っていたし、気分的に本など読む気もなかった。 一週間が経った夜、風呂からあがってホットしたところで 目に入った上巻を、ゆっくりでいいんだからと思いながら開いた。 何時もならNHKニュースウオッチ9を視ている時間だったが、直ぐに引き込まれた。 それから・・全部読み終わる迄、さほどの日数は要しなかった。「気分転換になりました。 有り難うございました。またお願いします」と礼を述べた。心底、有り難たかった。 * 引き続きこの施設でお世話になっていくと決めていいと、今は思っている。 自分一人では生きていけないし、何をするにも他の助けによらなければ生きていけないと 身に染みて感じたし、自分の無力さを思い知らされたからである。 生きること、それは、真に神の慈しみと恵みのうちにあった。 特にこの2〜3ケ月間、妻が職員達から受けた看護や介護、介助には頭が下がる。 それは彼等にとってはサービスつまり仕事だったのかも知れないし、 また、仕事だからこそ出来たことだったのかも知れない。 しかし、サービスを受ける側からすれば、「何だこれは、金ばかりかかるじゃないか」と 感じるか、「こんなに良くしてもらえるなんて思ってもみなかった」と感じるかの違いである。 お世話を受ける側の満足度によるのだと思う。 己の無力さを知った自分は、出来れば、この施設でのお世話を有り難く受け、 また、ここで暮らしている人々と共に助け合い支え合って生きていきたいと、 今は思っている。これからのこと、覚悟と意志、それは神の摂理のうちにある。 * PCのキーボードでのろのろと打ち込んでいた時である。 突然、館内の火災報知器が耳を劈くように“プオープオー”と大音響で唸った。 夜10時を過ぎている。しばらく報知器が唸った後、館内放送があって 「ただ今、係員が現場を調べに行っています。 皆さまは落ち着いて部屋で待機していてください。繰り返します・・・」。 ひょっとしたら、先日、避難訓練したように避難階段から逃げることになるのかなぁーと 腰を浮かして待っていたら、「先ほどの警報は、x階xxx号室の煙検知器が、 料理中に焦がした煙を検知したために火災報知器が作動したことが判明しました。 既に安全を確保しましたので皆さまご安心ください。 夜分お騒がせしましたことお詫びいたします」。 こんな遅い時間に、どんな美味しいものを料理していたのだろうか、夜食かな? それとも明日のためかな?・・・でも、大事なくてよかったぁー・・・
* 朝食、こんがり焼いたトーストにバターとママレードを乗せて、口に入れた。 こんがり焼けた香とオレンジの甘酸っぱい味が口いっぱいに広がる・・・筈だった。 アッ!入れ歯、忘れてきた! アーア、部屋に戻るのもおっくうなので・・・ ちゃんと噛めないが、食べ進んだ。スタートからつまずいた今日の一日。アーア・・・ 寝る前の歯磨き・・・歯ブラシをササッツト気持ちよくリズミカルに5往復したところで 気がついた。入れ歯を外すのを忘れていた。やり直し! アーア・・・ * 11月末から12月はじめにかけてインフルエンザの予防接種を受けることになった。 コロナ・ワクチン接種に気を奪われて忘れかけていた。 同時にもう一つ、大切なことを思い出した。健康診断。 この1年で10キロも痩せてしまって、どのズボンもぶーかぶか。 それに、耳が遠くなったし、目も霞んできたし、固いものが噛めなくなってきたし、アーア・・・
* 先日、館内でクリスマス飾りが飾り付けられた。職員と利用者の共同作業である。 玄関のロビーにはツリーになるプラステイック製の木が置かれ、綿を乗せ、サンタや三角帽子、 トナカイ、靴下などをぶら下げ、LEDランプを回し掛けた。 食堂ではテーブル毎にサンタクロースなどの小さな人形が置かれ、壁にも天井にも 風船やモールをぶら下げてクリスマスらしい雰囲気が作り上げられた。 ぼんやりと見上げていたら通りかかった職員が言った。 「キリスト教の意味は分かりませんが、コロナ禍なので少しでも 皆さんに明るく楽しんでもらえるようにやっています」。 この自分がクリスチャンであることを知った上で言ったのかどうか分からないのだが、 ハッと考えさせられた一瞬であった。 「ありがとうございます」とだけ応えた。 メリークリスマス! では、また。
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