2025年4月1日の報告
前回2月26日以降の報告をします。
<体調>
昨年は年初から肺炎、胆石等の体調の異変で始まり、4回も入退院の繰り返しで散々な1年だった。
今年は、軽い喘息が新たな持病に追加になっただけで、2年前の心房細動不整脈の治療のための 心臓アブレーション手術の経過観察を卒業し、
一応は心房細動根治の宣言を受ける順調な滑り出しができたので、以前同様に好きな旅ができそうだ。
<雑感>
(1)
例年通り、4月6日の誕生日が満開で迎えられる喜びに感謝。この歳になると、「来年も、この美しい桜の花が見られるかな」なんて
寂しい思いを口にすることがあり、妻に叱られている。
桜の花に関して面白い話に出会えたので紹介したい。昔から着物の染色に樹木が良く使われる。
桜色に染めるには 当然のことながら桜が使われ、あの綺麗な花びらで染めるものと思い込んでいたが、そうではなくて、
あのゴツゴツした枝を使って、中を流れる樹液で染め上げるそうだ。それも花の咲く時期しか色が出ないというから自然の力に驚かされる。
(2)最近、南海トラフ地震関連のニュースが増えており いよいよかと心配している。
今朝の朝刊にそれによる被害想定(死者数約30万人、被害総額が2年分の国家予算に等しい270兆円)と
「市町村別の最大震度・最大の津波高・津波到達時間」が発表されていた。神戸市は最大震度6+で、1時間23分後に4mの津波に襲われる。
中でも四国高知の土佐清水市では 最大震度7で4分後に34mの津波が想定されており、
高齢者は逃げることが難しいだろう。広範囲に停電と断水が長期間続くため 震災後の死者数は想定困難であり、
復興にも巨大な国力が不可欠であり 日本人の底力が試されるに違いない。しかし甚だ勝手な願いだが、
できることなら自分の旅立ちの後にして欲しい。
<旅の報告>
(1)
無性に富士山をじっくりと眺めたくなり、麓の富士宮に1泊することにした。
新幹線こだまで新富士に下車、バスで1時間。バスの車窓から富士山を眺めながらの観光気分を期待していたが、
生憎の黄砂大襲来で空は黄色く霞で覆われて富士山のかけらも見えない。
おまけにバスの中は大勢の外人団体客の大きな話声にイライラした運転手の下手な英語の怒鳴り声が重なり騒がしくストレスが溜りっぱなし。
ホテルに到着した時はもうくたくた。しかし温泉と美食に癒やされて満足してご就寝できた。
翌朝は快晴で黄砂も少なく、目的通り富士山をじっくり眺め湖畔を一周。
何故富士山は日本人の心に響くのだろうか。世界にも富士山に似た形をした山は 幾つもあるが、富士山だけは別格だ。
荒々し火山噴火を思わさない柔らかさと優しさが 何とも言えぬ情感を感じさせ、幾ら眺めていても 飽きることがないのは不思議だ。
来て良かった。
往きのバスに懲りたので、復路はタクシーで新富士駅へ行き新幹線で東京へ向かう。
(2)
東京は10年前にスカイツリーに昇りに行って以来であり、東京駅の変り様は想像していた以上。
周囲を伺う我々夫婦は 丸で田舎から出てきた年老いた夫婦に 見られたのではないだろうか。
駅から5分のホテルに迷わずに到着できた時は、安堵と共に昔の感覚に直ぐに戻れた誇らしさが 自分なりに嬉しく思えた。
品川に住む孫娘夫婦のタワーマンションを見に行ってから 4人で夕食。15,000歩も歩いたので、またもくたくた。
翌日も快晴。先ずは現在東京で最もホットなスポット「高輪ゲイトウェイシティー」を見物。
完成までまだ2年近く掛かるプレオープン状態だがその規模と斬新さんには唯々目を見張るばかりであった。
オフイス街と民間施設が見事に調和した実験空間であるが こんな所で働けたら 存分にやり甲斐を発揮できるだろうなと羨ましい限りである。
高輪を後にして丁度桜が満開近かったので、九段下の千鳥ヶ淵から靖国神社の桜並木を散策しながら
孫娘夫婦に戦争時代の昔話ができたのは良かったと思う。若い夫婦の幸せを祈りながら夕方の新幹線で帰阪。
今回は、富士山一日、東京一日と短い旅であったが良き記憶に残る価値ある旅であり大満足。
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