MUZMUZ 15 木 下
2024年06月06日 葬儀 先日、近在のゴルフ仲間の一人が 亡くなった。 私より3歳若く、3月初めの昼飲みの会では、元気にしていたので、 不意をつかれた感じだ。 もっとも、5~6年前に 喉頭がんで声を失っているが、 何かと器用な男で、発声用の機器を上手に操り、ゴルフや日常の会話にも困らず、 完治していたはずだが。 夫人の話では、肺がんだったそうで、 本人が手術を拒み 自然体で逝きたいとの希望だった由。 原発性か転移か不明だが、肺がんは 早期発見で手を打たないと進行がとても早い。 家族経営の印刷自営業で、社長を息子に譲り会長になって、 少しは楽になってはいたようだが働き者で、なかなかに芸達者、 ウイットに富み ダジャレも得意で、酒席で興に乗れば踊りだす、 座を盛り上げるのが 上手なムードメーカーだった。 ちょい悪親父的な雰囲気を少し漂わせた ヘビ―スモーカーで、 ゴルフのラウンド中も 頻繁に煙をはいていたが、喉頭がんになる少し前には 声がしわがれ、たばこも止めていた。 でも、人が煙草をのんでいると、未練たらしく、すこし吸わせてもらっていた。 「都合が悪いと ほらすぐたばこ そうして私をけむにまく」 柳家なんとか師匠の都都逸の情景が似合う、憎めない男だった。 カラオケでは、田端義男の「かえり船」が十八番だったが、 しわがれた声で 揺れながら歌うのが、なんとも味があって懐かしい。 まだ、現役だったので葬儀には結構参列者があった。 私達のゴルフ仲間で、彼と中学/高校とも一緒だった男が 弔辞を述べた。 彼は元銀行マンだが、地元の民生委員や老人会 カラオケ同好会長など勤めて とても活動的、高校で彼が生徒会長を務めたときは、故人がその選挙参謀だった間柄。 その弔辞の締めくくりに、アカペラで、鳥羽一郎の歌を熱唱した。 私の知らない曲だったが、男の友情に関わる歌だった。 故人とは ここ20年の付き合いなので、彼の一面しか知り得ていない。 人の旅立ちを送るときには、子供のころからの一生や その時代に思いを馳せてしまう。 10年ほど前には、故人のご母堂の葬儀にも参列した。 その時の話では、ご母堂も陽気で愉快で、老人ホームの人気者だったそうな。血筋だな。 昨年の直木賞作品のひとつ 永井紗耶子「木挽町のあだ討ち」、 半年の待ちで ようやく図書館の順番が来た。 以前読んだ、松井今朝子「江戸の夢びらき」(初代市川團十郎伝記)の 記憶も残っていて 江戸の町民文化、芝居文化にどっぷり。 一方久しぶりに会って、食事を共にした 熱海在住の知人から、 「現代の日本には 国としての歴史がなくなっているのでは」と言われ、 いささか面食らって、どういうことかと訊ねたら、 最近読んだ本のことを 色々考えているのがわかった。 これはフォローしなければと、 その本、与那覇潤「危機のいま古典をよむ」を 図書館で借りて読んでいるが、 うるさ型の論客が 色々出てきて、なかなか進まない。 江戸と現代を行ったり来たり。 本など読んで 夜更かししていると、朝、目が覚めても、からだがだるくて動かず、 時間的に遅れて、ゴミ出しをミスったりしている。 木下 |
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