MUZMUZ 15  木 下





2022年08月08日 懐旧の一日 

7月の下旬に、鎌倉在住の旧知の上司家族に 会うため横浜に出かけた。
私の現役時代の上司本人は、48年前に、事故で他界し、
その後、ご家族とも疎遠になっていたが、私が退職後、ちょっとしたきっかけで、
年に一度 昼食をご一緒しながら、昔話に興じる機会を持つようになった。

コロナのせいで、かれこれ3年ほどお会いしてないので、
6波の落ち着きを狙って予定を組んだのだが 間髪入れず7波がはじまったので、
どうしたものかと思ったが、相談の上、予定通りお会いすることにした。

話は昭和42年、55年前に遡る。
私は初めての海外駐在で 米国のオレゴン州ポートランドに 赴任が決まったが、
その半年ほど前に、T上司がポートランド事務所長として赴任しており、
私の赴任にあたって その家族、T夫人、長女3歳、次女1歳も一緒に渡航することになった。

当時は、現在の様に海外旅行は簡単ではなく、1ドルが360円で外貨規制も厳しく、
飛行機はプロペラで直行便はなく、アンカレッジでいったん着陸して給油し
ポートランドに向かう。

ファミリーパックのような便利な制度もないので、小さな子供連れはなかなか大変で、
まあ、私はタイミングよく、お世話係という役どころだった。

ノースウエスト航空だったが、機中、次女の赤ちゃんが、頻繁に大声で泣く。
今のジャンボ機と異なり天井が低く狭いので 泣き声が良く響く。
T夫人が あれこれと宥めるのだが、
赤ちゃんも普段の環境と違い 異常を感じているのか泣き止まない。

スチュワーデスは いずれもそれなりの年齢の 男勝りのような感じで、
そのうちの一人がやってきて、私にあなたの家族なんだから、なんとかしろという。

英会話はそれなりに出来る積りでいたのだが、いや彼らは上司の家族で、
今日会ったばかりで、あれこれと遠慮なく行動できないのだ、と言おうとしても
あたふたするばかりだった。

そのスチュワーデスは軽蔑の眼を私に向けて、ぷんぷんして行ってしまった。
そのうちT夫人が腹痛を催し、大したことなくおさまってよかったが、
大汗の連続で、ポートランドに着いた時は へとへとだった。

私は単身赴任だったので、2年3か月の間、頻繁にT所長宅にお邪魔して、
食事をご馳走になった。

娘さんたちも次第に大きくなり、ままごとの相手などもした。
次女の方は、櫛とおもちゃの切れないハサミで、床屋さんごっこが好きだったが、
三つ子の魂百まで、現在は美容師をしている。

長女の方はシャイな子だったが、現在は商業施設デザイナーとして、独立し、
バリバリのキャリアウーマンだ。

T夫人は現在80代半ばだがお元気だ。昔から、非常に明るく話好きで、
それもユーモアたっぷり。

昼食をしながらの2時間半を、ほとんど一人で喋りつづける。
娘さんが、注意して食事を勧めないと 食べるのを忘れてお話しする。

2006年に、何十年ぶりかで お会いすることになったのだが、
小さなころしか知らない娘さんは 大人になり T夫人もすっかりお年を召した。
それでも、面影は残っている。爾来、定期的にあっているので 徐々に昔に戻っている。

2005年10月に日米社会保障協定が発効し、
それまで10年以上 米国に住んで税金を払っていないと 米国年金を受給できなかったが、
10年未満でも年数に応じて受給可能となった。

Tご家族は6年ほど米国に居住していたので、遺族年金が受給できるはずと思い、
連絡をとって 受給のお手伝いをしたのが、再会のきっかけだった。

歳をとるとむかし話は懐かしく、元気も出る。同じ話を繰り返すことも多いが、
本人たちは飽きることなく、話も尽きることがない。

2時間半はあっという間だが、結構疲れる。
それでも別の元気というか、エネルギーが湧いているのを感じる。

埼玉から東京を経て、神奈川までコロナの中を 用心しつつ行った甲斐はあった。

からだが衰える前に、コロナが落ち着き、
友人知人に会って久闊を叙す機会が増えて欲しいものだ。

木下




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