MUZMUZ 15  木 下





2022年04月17日 復活祭 

今日は復活祭、日中のミサで、祭壇の準備をし、第一朗読の奉仕/務めをし、
無線マイクの一つが不調で使えず 臨時の担当としてちょっと焦りながら、
フィリピンの少年が侍者についた 復活祭らしいミサに与って、昼過ぎに帰宅し
まずはほっと一息ついている(コロナのため、これまで侍者は自粛していた)。
聖木曜日の主の晩餐、聖金曜日の受難の祭儀、土曜日夜の復活徹夜祭、と
続いたのでかなり疲れた。

というのは、私もそれなりの高齢者なので、一部の奉仕(日曜のミサの祭壇準備、
折々の聖書朗読や共同祈願、月に一回の聖堂掃除当番、教会報編集アシスト、
聖堂改築委員など)の他は、日々の運営には携わって居なかったが、
教会委員の中核の一人が 聖週間直前に病気になり、色々な段取りが判らなくなった。

コロナ自粛で 活動を自粛している教会員も かなりいることもそれに拍車をかけた。
結果的には 協力してなんとか乗り切ったものの、私もその渦に巻き込まれた次第。

復活の大ローソクの火種担当になって、当日慌てて木炭を買いにはしり、
割りばしや紙など準備し、本番でも その火の勢いを点火するタイミングに合わせるにも
神経を使った。きちんと消火し後始末もせねば、うっかりミスは禁物。

人手不足というので、復活の卵作りも 割り当てられ20個ゆでたまごをつくり、
装飾の模様などはり付けた。20個もゆで卵を自分で作ったのは初めてだ。
皆で150個ほどもつくっただろうか。 そのほか、あれこれと雑務がある。
普段のんびりしていたが、教会委員の下働きが多いことを あらためて痛感した次第。

この四旬節は体調がよく、金曜ごとの十字架の道行きも参加できたし、
土曜の夜の祭儀のあと駅で飲んだビールもとても美味しく、
まだ当分頑張れるなとも思った。
(コロナのため、現在、祭儀のあとの教会パーティは中止。また夜は運転はしないので、
駅の近くで一人飲むことになる)。

第2バチカン公会議以降は、日本では 跪くことは稀になり、
立って深く拝礼することが基本になった。高齢者には有難い。
時々跪くことはあるが、頻繁に脚がつってどうにもならない。

体の元気な部分と 元気でない部分と ないまぜになる中で、これからも生きていく。
恵まれた日々だと感謝のうちにある。

でも、社会や世界の悲惨な出来事には 心が重く、痛む。

木下





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