MUZMUZ 15  藤 井







「瞑想による自省録」③                 2024.3.17

          「最上のわざ」             

 私のコーチング仲間に戸川宏一さんがいる。
私と同年の戸川さんは上智大学経済学部を卒業して、
モトローラ、ABB等グローバル企業で活躍、現在はコンサル・コーチとして活躍されている。
一時上智大学の同窓会長も務められた。敬虔なカトリック信者であるが、
「究極お祈りと瞑想は同じで、瞑想がお祈りを一層深めるのではなかろうか」とお勧めして、
最近超越瞑想を始められた。
 
先日彼が、次の一節を送ってきてくれた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

            最上のわざ

この世の最上のわざは何?
  楽しい心で年をとり、働きたいけれども休み、しゃべりたいけれども黙り、
  失望しそうなときに希望し、従順に、平静に,おのれの十字架をになうー。
若者が元気いっぱいで神の道をあゆむのを見ても、ねたまず、
  人のために働くよりも、けんきょに人の世話になり、
  弱って、もはや人のために役ただずとも、親切で柔和であることー。
老いの重荷は神の贈り物。古びた心に、これで最後のみがきをかける。
  まことのふるさとへ行くためにー。
おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事―。
  こうして何もできなくなれば、それをけんそんに承諾するのだ。
神は最後にいちばん良い仕事を残してくださる。
 それは祈りだー。
 手は何も出来ない。けれども最後まで合掌できる。
 愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるためにー。
すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。
「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」とー。          」
   (「人生の秋に。ヘルマン・ホイヴェルス随想集」春秋社)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
人生も「いかに死ぬか?」を考え始めた私にとっては、まさに含蓄ある言葉である。
「聖なる諦め」の時期かな?

注:ヘルマン・ホイヴェルスはカトリック神父。
上智大学初代学長、ヘルマン・ホフマン神父と共に上智大学の創成に貢献する。
神父は日本を愛し、美しいものをこよなく愛し、
詩人・芸術家であった。この「最上のわざ」は神父が帰国時、ドイツで見つけ、
戸川宏一さんの父君(戸川敬一さん。上智大学のドイツ語教授)が訳されたものという。
(「夕映に」戸川敬一著、南窓社刊2003年)

この「最上のわざ」を噛み締めているうちに六甲でお世話になった、
クノール神父以下の数名のイエズス会の神父、心に残る教育者をありありと思い出した。


                       以上





旧ページ  24/02/24