第三芸術論 2025/09/09
今日の新聞(小生は「瓦版」と思うがそれを読んだことはない)の トップは「石破総理の辞任」と「阪神タイガース セ・リーグ優勝」 ** 自分の責任でもないのに総理を辞任させられ 伊東市の田久保や兵庫の斎藤を見習えと提言したい。
強くもないタイガースが優勝できたのは 今までの反省から日本の選手を有効に活用したから。 巨人や広島は9人の内 3人が異人で率は3分の1。 佐藤をコキ使エ、近本をシゴケ、大山に喝、 中野をブンマワシ、坂本を休マセズ、森下はホメルナ 石井はホメよ。 これで来期も無双の阪神タイガースや。
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第 三 芸 術 論 京大教授の桑原武夫の 現代俳句に対する
「第二芸術論」は 大学時代に出会い
驚きの連続であった。
信じていたもの 教えられていたもの
それがゆえに 尊きもの
それらが 一挙に崩壊した
その後 読書の機会も増え
尊敬する桑原が 戦後に特有の
フランスに傾倒する結果 日本の伝統を
時期チャンスと 相乗り根性で
否定と破壊へ誘導し チャッカリ叙勲も拝受の
人物像の拡大で 目も覚めた
が
9月3日の「讀賣新聞」文芸欄
多句・多作と共に 下記が
秀句・秀歌で選出されている
秀逸
沢の水掬うかたわら
萩の揺れいる
評
携帯電話の電波が届かない「圏外」。
そこにいるかぎり世俗の雑事に煩わされることはない。
余裕ある気分の中で水辺の萩が咲いていることに気付く。**
そんなつかのまの自由な気分を歌った歌。
秀逸
評
つかまえた蝉が自分のものになるのは並大抵ではない。
自分の愛をすべて傾倒する必要がある。
蝉の命を考えるとき、自分にさせてやりたいとの思い
が湧いたのであろうか。
自分の手から離して自由にした。
これも愛の一つの形である。
桑原式評価なら 選者が言及するほどには
感銘をもたらさない 作品である。
離すは 放す? でも 離すもOKか。
さらに
選者のコメントも熱意も感激も 伝わらず
今どき古語の「携帯電話」
蝉を自分のものにする(?)のに
自分の分の愛をすべて傾倒する必要(?)
それなら 異様な執着で気味悪し
自由な気分を歌った歌(? 冗語や!)
作品も作品なら 評も評
このなれ合いで 第二芸術は健在
ただ これらは 好きな物好きが
日々の趣味の 延長で 楽しみ
他者が とやかく言う ものでもない
その程度のことは 理解する
問題は 安くもない 新聞購読料を
改善も改革もされない 読売新聞方針の結果
ぶつぶつ言いながら 毎月払わされている
自分に滑稽さを感じる
この程度なら ともかく 広告が1頁大が
2か所 その半分や4分の1が多載で
記事の写真も大きく 広告新聞
俳句も短歌も 流派と派閥の世界であり
父子相伝 師弟相伝 流派相伝の暗黙の世界
結果は 近親相関(誤字ではない)の 展開図
「秀逸」などは 彼等身の内で通用の
針小棒大の 偽術用語(誤字ではない)
読売や他のメディアは 政党や政治家の
党派や派閥を 目の敵にするが
新聞子諸氏の 自社の歌壇の現状には
無頓着か 実体を感知する 能力はゼロ。
メディアが介在する 句や俳句は
第三芸術へと 進行中。
そこで 一歌と一句
圏外にいるのが不安
補給水飲んで安心
ボトル揺れ入る
短命を 啼いて唱和の 蝉しぐれ
お粗末!
な
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