MUZMUZ 15  山 本





2023年05月06-08日 発熱

6日

今日は朝から体調がおかしいと思っていた、今さっき、風呂から出て、
フラフラになって、ベッドに仰向けになって、脱落状態、

熱を測ってみたら、38.3,微熱だ。
ダメだあー こんなことで寝てたらダメだあー

8日
昨日、朝、39.7。 休日だったが 診てもらうことが出来た。

胃腸からきた熱だと診断。
寝て、寝て、寝ていました。

今、取りあえず平熱にまで戻ったので、PCを開いてみて、

感謝しています。
励ましメール、有り難う



2023年05月06日 近況 一部追加

[世間は・・・狭まぁ〜い! 近しく親しく慕しい人たちとの出会い]

横浜・原宿教会に 通うようになってもう50年程になる。
この間、思いもよらず出会って、たちまち近しさを感じ、何んだか懐かしい気分になって、
ますます親しく慕わしく思える人になってしまった人たちのことを、
神戸六甲15期生に関係する範囲で、記してみようと思う。
自分が、今、この人たちに見守られ支えられていることに感謝しながら。

(1) その前に、あまり興味が無いと思うが、原宿教会について少し説明を。
正式には横浜教区戸塚教会“原宿巡回教会”。
信徒総数は220名ほどの 小さな家庭的な共同体である。
横浜教区が、“マリアの宣教者フランシスコ修道会”
(本部は東京世田谷にある女子修道会)に依頼して、
この“原宿修道院”の聖堂を、近くに住む信徒のために解放してもらい、
教区の教会として 正式に使用させてもらっている。

その敷地は相当に広く、同会が運営する保育園や老人―ムの建物があり、
緑の樹木が生い茂り、小鳥たちがさえずり、リスが巣を作り駆け回る。
春には幾種類もの桜が それぞれに色とりどりの花を咲かせ、夏にはどんぐりが、
秋には柿の実が稔る。今、サクランボの赤い実を 小鳥たちがつまみ食いしている。
国道一号線からわずか数10mほど入った所だとは思えないくらい
静かで緑に囲まれた環境にある。

(2) 40年ほど前、この地に引っ越して来られたN氏と原宿教会で出会った
なんと、あの武宮隼人校長の甥にあたる人だった。
山歩きやキャンプが好きで 休日には殆ど家にはいなかった。
がっしりとした体格、清々しい心優しい人柄だった。
ともにした教会活動では年下の彼から しばしば励ましや忠告のアドヴァイスをもらった。
が、或る日、我が妻と同じ病にみまわれ、そして或る日、妻を追い越して早々に旅立った・・

・奥方と二人の娘を残して・・・。
住まいが近かったので、生前、スーパーで娘と一緒に買い物する場に しばしば出くわして、
そんな場でも、心を開いて互いに励まし合った。
長女は結婚して他教会へ転じたが、次女は結婚して母と住まいを共にした。
そして今、ようやく戻った奥方の微笑みの視線の先に、
明るく元気に育った孫娘の笑顔がある。なんとも嬉しい気持になるのである。

(3) 2年前、イエズス会の久我純彦神父が、
この修道院と保育園を支援するチャプレンとして、
また、横浜教区原宿教会の協力司祭として就任した。

彼は栄光学園の出身で、大学学生寮をともに過ごした・・・ということは、
自分も同じ釜の飯を食った仲であるが・・・宗正孝神父と同窓の叙階司祭であり、
病弱の宗神父の 最後の仕事となった聖三木図書館館長を支え続けた
思いやりある司祭だ。

この親しい司祭から、自分の妻は終油(病者)の秘跡を受け、葬儀ミサを捧げてもらった。
今、自分は、どの信徒にも先だって、
この司祭を支えていかねばならない立場にあるのだが、この司祭から親しく指導を受け
支えられて、信徒やシスターたちとともに、感謝の日々を過ごしている。

(4) マリアの宣教者フランシスコ修道会が神戸に昔から活動拠点を置いていることは
ご承知のとおりである。神戸修道院や同会が運営する海星女学院と原宿修道院との間で
シスターたちの移動・交流が行われており、六甲学院のことはよく知られている。

なので、自分としてはシスターたちの六甲生に対する評判・・・
それは美しく栄えある夢の虚像とも思えるのだが・・・を裏切り破壊するようなまねは
決してしてはならないのである。
出来損ないであった自分に対する彼女たちの目線は・・・尊敬のまなざし・・・とでも
云うのだろうか?・・否、勘違いしてはいけないよ!・・・
彼女たちが発する美しく澄んだ眼線を、今、思わずそらしてしまうのである。

ところが、シスターたちの中には物事に対して反骨心豊かな批評家も、
また、世界の貧困地で命をかけて活動し広い視野と強靱な心のシスターたちが
多々おられるので、チャランポランな甘ったれた言動には要注意である。
視線が合うと 心を見抜かれる思いがするので、やっぱ、そらしてしまうのである。

(5) そんなシスターの中で、今、神戸修道院へ移動されたシスターYは、
とてもオープンで進歩的なシスターで、
彼女主導の聖書研究会では我妻も長年ご指導を受けていた。 
ある時期、自分は彼女から言われて修道院の会計データ入力を手伝ったことがある。
年長の彼女はパソコンを独学で始めたばかりだったが、習得の早さには驚くばかりだった。

神戸へ移動後、“日曜日には六甲教会のミサに与っているワよ”、
誰それが司祭で、誰それが信徒会長でとか、コロナでどうしたとか、
こんな花が咲いている、などなど、写真付き手紙をパソコンで作って送って
(e-Mailではない)下さるのである。
なので、時には、彼女の認知外のことだが、15期生の活躍ぶりも記されている。
概ね、好意的な視点なので、安心していい。

(6) 信徒数たったの220人程度の少人数の原宿教会に神戸海星女学院の卒業生が、
今、二人も存在し、六甲学院へのオホメノコトバをいまだに頂戴するのである。

その一人M女史は「あのきちんとしたカッコイイ制服、空いている電車席やバス席には
目もくれず、立って何だか分からないけど勉強している真面目な姿は今も忘れない」と、
いまだによく曰うのである。 
この女史は、自分が勤め先を引退した後に再就職した老人ホームのベテラン職員であった
ので、まごまごしている自分をながめていて、黙って、誰にも気がつかないように
サポートしてくれていた天使なのである。

(7) もう一人の神戸海星女学院卒のN女史は、大学の10数年以上も後輩であるのだが、
なんと、彼女は在学中、宗教授の優しさの虜になり、彼を取り囲むフアン・グループの
一人であったと言う。 と云うこともあって、宗神父を魚にして、
今、彼女とは話が尽きないのである。

これまで、お互いに家族のことには触れることは無かったのだが・・・
自分からは強いて触れないようにしてきたのだが・・・ 
なんとなんと、彼女の夫君が六甲の卒業生であると知らされたのは、
つい最近ことである。これからますます話題が広がっていきそうである。

(8) 世間は狭い。
今は、気付いていないけれど、まだまだ、近しく親しい慕わしい人たちが直ぐ側にいて、
ええっ!と、現れるかも知れないと思うと、なんとなく胸がワクワクしてくるのである。

今日はこの辺で・・・

山爺 2023/05/05



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