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紅葉狩り 顛末記  12日 13日  最下段に掲載

2023年11月10日 共に84歳夫婦の 気ままな九州二人旅

<期間> 2023年10月30日〜11月2日(3泊4日)
行いが良いせいか、全日雲一つない天晴れの好天に恵まれました。

<行き先と楽しみ>
(阿蘇)絶景パノラマ観光ドライブと阿蘇中岳火口散策
(熊本)熊本城見学と馬刺料理
(雲仙)温泉地獄と雲仙妙見岳から紅葉と普賢岳と平成新山展望
(長崎)大浦天主堂とグラバー園周辺散策
     懐かしい思い出の六甲高校卒業旅行と
     ほぼ同じコースを 66年ぶりに周遊

<旅程> 
 30日 新大阪から熊本まで、新幹線“さくら”
    熊本駅前でレンタカーを借りて 阿蘇へ <阿蘇で宿泊>
 31日 熊本へ戻り、熊本城見学 <熊本で宿泊>
 1日  有明海をフェリーで 島原半島へ渡り雲仙観光 <雲仙で宿泊>
 2日  雲仙から長崎へ走り 市内観光
     長崎空港で レンタカーを返却して大阪伊丹空港へ
     レンタカーの走行距離は 約350kmでした

本来なら自宅からマイカーで、神戸港か大阪港から九州往復フェリーを
利用するのが スタンダードですが、今回は新幹線“さくら”に
乗りたかったので 上記のような旅程になりました。

新大阪8時53分発の“さくら”で熊本に12時6分に到着。
3時間の退屈な時間を車窓からの眺めを 楽しみながら過ごす積もりで
いましたがトンネルと防音壁が多く、早朝起床によるまどろみで
随分と早く着いたような感じでした。

予約していたレンタカーを 熊本駅前で借りて阿蘇へ向けて出発。
車はトヨタYARIS、コンパクトカーなので直ぐに運転にも慣れ、
NAVIに導かれるままに 以前から走りたかった「ミルクロード」へ。
「ススキの絶景日本一」に選ばれた黄金色に輝く 広大なススキ野原が
広がる大草原の間を、縫うように続く 北阿蘇外輪山の道で、
沿道の牧場から牛乳を搬出するのに使われたのが「ミルクロード」の
名前の由来です。

道路沿いには 数カ所の展望所がありますが、
最高の絶景 パノラマを堪能できる「大観峰」で 暫し感動しながら散策。
66年前の卒業旅行でも ここに立ち寄って 同じ眺めを観ているはずだが
全く記憶の外。しかし高齢の今の方が 遙かに強く目に焼き付いたと思う。
外輪山から一気に大きなカルデラへ下り、阿蘇市を通り抜けて
南阿蘇の宿に宿泊。

 二日目は昨日の長旅の疲れもなく 快調な目覚め。
朝焼けに美しく輝く紅葉を愛でながら「阿蘇中岳火口」へ。
ここには2年前の大爆発で、死者58人行方不明5人を出し戦後最悪の
火山災害が記録されている。

多数の防災シェルターや 道路面に残っている無数の爆発噴石の保守跡と、
立ちこめる強い火山ガス臭により、おどろおどろしい雰囲気が感じられて
長時間の滞在は避けたい気持ちであった。
爆発噴石により破壊された、古いバス待合所やレストラン施設の残骸を
見ながら中岳火口を後にした。
阿蘇五岳の一つ、烏帽子岳の中腹にある 広大な草原「草千里ヶ浜」に
寄り、しばし牧歌的な風情を感じながら 小休止を取った後、
「阿蘇パノラマライン」を走って一路熊本へ向かう。

 熊本のホテルにチェックインして休む間もなく、
ホテルの直ぐ前の「熊本城」へ入城。
大阪城を見慣れている私達でしたが、想像していた以上に大きな城に
驚くと共に、その波瀾万丈の歴史を知ることができ、
歴史大好きの 私達夫婦には多くの新しい知識が習得できた
大変楽しい一時であった。

この城は加藤清正が 築城したことはよく知られたことだが、
僅か親子二代で徳川家により 謎の改易が命じられ細川家の城として
長い時代が続いたが、西南戦争の西郷軍と政府軍の戦いで
多くが焼失した。

その後、明治と平成の2回の大地震で 大きな被害を受け、
平成大地震の爪痕は 7年後の今も生々しくあちこちで修復工事が
行われていた。
建築資材の高騰や城専門職人の不足から 何時修復が終わるか
見通しができないと聞きました。
夕方になり城の閉門に流れる「蛍の光」を聞きながら
熊本城を後にして待望の「馬刺し」を食べに町の割烹店へ。
馬刺しメニューは いろいろあったが 店主お勧めの
赤肉と白い油のタテガミ肉のコンビが 日本酒と合いとても旨かった。

 三日目は熊本港から レンタカー共々フェリーで
有明海を約1時間掛けて 島原半島へ渡る。
島原にも観たい所はあったが パスして「雲仙温泉」へ向かう。
最初に「雲仙ロープウェイ」で 海抜1300mの上空を 空中散歩しながら
パッチ模様の紅葉を楽しみ、
頂上駅展望台からは近くに「普賢岳」と自然の力が想像できる
「平成新山」が、遠くは天晴れ快晴により「阿蘇・天草・霧島」までが
展望できた。

その後、雲仙の温泉街と温泉地獄を散策したが、
思いの外、規模が小さく寂れた感じで 観光客の姿もまばらであった。
ホテルの関係者から、来訪者の対象を団体中心から 個人中心へ変えて行く
過程にあると聞いたが 判るような気がする。

 いよいよ最終日4日目、ホテルから高速道路で長崎市内へ直行。
「大浦天主堂」の近くの市営駐車場に レンタカーを止めて、
年を取るに従い、苦手になりつつある 坂道と階段ばかりの道を
歩いて観光。
「大浦天主堂」だけは卒業旅行の残像として 何となく記憶に残る
懐かしさを感じた。
国宝に指定されている 美しい建物は長崎のシンボルである一方で、
日本人が「信仰の自由」を獲得する 苦難の歴史記録でもある。

中でも「26人の殉教」の話は忘れられない史実である。
秀吉により24人の修道士・信者が捕えられて、
京都や堺で引き回された後、長崎まで真冬の道を歩かされた。
途中2人が自発的に加わり、
長崎で十字架に掛けられたのは 426年前のこと。
この大規模な殉教は 西洋にも伝わり聖人に列せられ、
今も「二十六聖人殉教図」が堂内に掲げられていた。

 「大浦天主堂」を出て「グラバー園」に向かったが、
一般の観光者が通る道ではなく、
YouTubeで調べていた長崎の特徴である坂と階段の住宅街の裏街道を通り、
住民が使うエレベーターを二つ利用し「グラバー園」の裏口から入園。
面白いコースでした。

日本の近代化に貢献した 貿易商ト−マス・ブレーク・グラバー、
彼が家族と住んだ「旧グラバー住宅」を含め
西洋建築9棟が公開されているが、経年劣化で修理中のものが半数あった。
建物の中は神戸の異人館と ほぼ同じで 異人館を何度も観たことのある
私達には、特に感じるものは少なかった。

しかし、この園からの長崎湾の展望は素晴らしく、
グラバーさん達も 毎日眺めを楽しんでいたに違いないだろう。

 歩いての観光で疲労感が出てきたし、12時近くになっていたので、
小休止をかねて昼食に「本場のちゃんぽん麺」を頂くことにした。
結構美味しかったね。

食事休暇をしたら もう歩く気がしなくなり、
行く予定の「出島」や「長崎孔子廟」はスキップして、
少し早い目に長崎空港へ向かい レンタカーを返却して空港でチェックイン。
大阪伊丹空港に無事到着し、20時頃に帰宅し今回の旅を終了。

家に入ると 直ぐにテレビのスイッチを入れて、
休む間もなく 日本シリーズのタイガース対オリックス第5戦を
ワイワイと観戦。
見事タイガースが勝利して 日本一に王手を掛けたので
旅の疲れもすっとび熟睡できた。

短期間であったが 今回の九州への旅は、天候に恵まれたこともあり
大変充実した素晴らしい時間を過ごせ、
夫婦の 良き思い出の一 頁になり感謝・感謝です。













































11/12

今日から計画通り、丹波路寺の紅葉巡りを始めます。
まず丹波北部に位置する 氷上町と青垣町方面から回ります。
今日は高山寺・岩瀧寺・白毫寺の3カ所を訪れた後、
昔に武将達で賑わった 国領温泉に泊まり「ぼたん鍋」を味わいます。

明日は 高源寺・常瀧寺・円通寺の3カ所で紅葉観賞して
夕方に帰宅する予定です。

急に冬並に寒くなったので 冬支度でお出掛けです。
綺麗な写真が撮れればまた報告します。



11/13 空振り

昨日、予定通り 丹波紅葉巡りに出掛けましたが、
紅葉は 完全に空振りでした。

例年なら 見事な秋色を 楽しませてくれるのに、どこへ行っても 
見物客は大勢きているのに 肝心の紅葉は殆どありませんでした。

地元の人たちも もう残念そうに諦めており、
「緑の紅葉巡り」なんて看板を 書き換えている所もありました。

地球温暖化による異常気候で、夏が余りにも猛暑で、また残暑が長く 
秋が来るのが遅かったため、紅葉する前に 枯れて落ち葉に
なってしまうからです。

下手をしたら 日本では見事な紅葉絵巻が
もう観られなくなるかもしれないことを危惧します。

「昔は秋になったら 山波が真っ赤に染まったものだ」なんて
親が子供に話す時代が 来るのは寂しいことですね。

地球温暖化対策は口ばかりで 本当に真剣に取り組んでいる人は
ごく僅か、自分も反省することばかりです。

そんなことで 昨日は紅葉見物を早い目に切り上げて、
温泉に浸かった後、久し振りの「ぼたん鍋」で 旨い酒を楽しみました。
残念ながら 今後の丹波紅葉巡りの予定は 全部中止です。




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旧ページ 2023/11/05