藤 野 近 況  25/04/29


  膝痛と走馬灯

  転ぶのは怖いけど散歩は10年前の転居以後は当時の半分程度の
  
  距離で日課として毎朝続けてます。2回転んで手足を擦りむいたけど骨は無事。

  ボケ防止にはもっと運動しろとホームドクターは言うけど、今更ねー。


  日課として日米の新聞を読む習慣も変わらないので、暇な年寄には世の不条理とかばかり


  目につき、腹を立てたり次世代の無事を気にしたり誰に話すでもなく時が過ぎます。

  例えばこの1週間だけでも:化野念仏寺の休み中に、中国人観光客が入り込んだとか、


  休山中の富士山に登ってヘリコプターで救助された中国学生が携帯を忘れたので

  
  再度登ってまた救助隊が出動とか、この経費、米国なら請求されるけど日本は?


  念仏寺の場合は米国なら不法侵入罪で住人が侵入者を射殺しても正当防衛。


  いくら観光立国と言っても“おもてなし”とか甘いだけでは、便乗されるだけ。

  
  外国人だろうと規則破りにはきちっと罰を行使しないと国際的には真のリスペクトは


  得られないで逆に馬鹿にされるだけと解ってるのかなとか心配してる。


  中国製EVBYDにまで補助金を出すことに前年度より額は減ったと馬鹿な弁明。


  額の問題でなく補助金を税金で払う事が問題なのに。トランプなら絶対無い。

  トランプで思い出したけど、日本はアラスカの天然ガスを買えと要求されてるとか。


  若い頃こうしたプロジェクトには設備面で結構関与したので懐かしく少し披露します。


  アラスカの北側にノーススロープという石油・ガスの資源が有ります。


  石油は
1970年代中頃にアラスカ南岸までパイプラインを建設し出荷されています。


  このパイプラインのパイプを日鉄以下当時の日本4大製鉄会社がカルテル
(違法ですが)


  を組み、売り込みをしてましたが、米国の足元を見て値引きに応じず、先のコロナ流行時に


  発動したと同じ国防生産法
1950年を米政府は発動、米国メーカーに発注してしまいました。


  国家の緊急時、製造業に優先生産を強制できる法律です。


  このプロジェクトの幹事契約社のベクテルの社長だったシュルツ氏が当時の国務長官で


  伝家の宝刀を抜いた次第。ベクテルからの囁きを鉄部門へ流したのですが、無視されました。


  僕は日本鋼管子会社のパイプライン用大型フランジを何百だか成約させました。


  天然ガスについては今回に限らず
1980年代初めにノーススロープからカナダを縦断して


  モンタナ州、そこで分岐してカリフォルニアとシカゴ方面へ送るプロジェクトで建設費


  40億ドルの半分を日本で負担してくれないかというものでした。アラスカ上院議員に


  ワシントン
DCまで会いに行ったり、通産省も国家プロジェクトとして建設費半分20億ドルの


  輸銀資金供出の認可をし、国家プロジェクトなので伊藤忠、住商などの参加を得て6商社の


  連合も組織できました。ところが肝心の米国が国家プロジェクトを友好国とは言え他国の


  カナダ領内を通るのは安全保障上如何なものかと議会が反対、つぶれた経緯があります。


  伊藤忠の瀬島機関子飼いの故室伏社長(当時は開発部長)も積極参加して来てくれました。


  今回は石油同様アラスカ南岸までパイプ輸送、そこで液化して
LNGとして日本他へ販売


  という構想でトランプ政権が圧力をかけて来たものです。但し液化プラント費用もあり


  プロジェクトコストは昔の10倍400億ドル(
5兆円超)と言われています。


  供給元の分散は安全保障上のニーズに合うし天然ガス液化プラントは日本の得意分野で


  数十億ドルという大型設備受注も視野に入り魅力的ですが、生産される
LNG価格が国際競争力


  があるかが鍵ですね。恐らくトランプ政権は
LNG 購入のみでなく設備建設費の投資負担も


  貿易不均衡対策として求めて来るので、LNG価格の保証が無ければ乗れないでしょう。


  工期遅延とコストオーバーランは常習の米国のことでもあります。


  因みに現在息絶え絶えに中間地点のみ動いているカリフォルニア新幹線建設など、
1970年代初めに


  話が出て記憶する限り3回挫折、今回4回目に動いていますが、建設費はもう見積もりの倍で


  既存路線を併用することに変更したり、いつ完成するのやら
2009年に着工が承認され、全線でなく


  中間部分の完成が2029年という話。シスコとロスが繋がるのははてさて?


  三菱、川重などは設備売り込みに気長に動いているようですが・・・。


  長くなりました。昔話の一端でしたが面白くないかも知れません。


  先日色々と昔のことが寝ている時浮かんでくると書きましたが、燃え尽き症候群を感じて


  46才で商社マン生活から足を洗いましたが、若い時の仕事とそれを奔放にさせてくれた内外のお偉方、


  友人達、色っぽい話、と85才超えて色々頻繁に巡ってきます。


  途中で辞めたので今も生きているわけです。

  藤野秀樹

 




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