MUZMUZ 15 藤 井
瞑想自省録2025-③ 2025.03.25 「1」 妻の「傘寿のお祝い」(2025.3.22土曜日) 妻京子の誕生日が3月19日。 藤井家9名(長女家族 孫息子二人で4名。長男家族 孫娘一人で3名。)で ローストビーフの店、鎌倉山本店。風光明媚な丘陵地で、 プロによる写真撮影。シャンパンで乾杯、全員が一言お祝いの言葉。 その中での印象的な言葉は、 考えれば不思議な縁というか、運である。 1968年私達は知り合って結婚した。その時の世界人口は約30億人(現在80億人)、 不思議な自然の摂理である。 私の挨拶は、「心身ともに健やかな京子。傘寿、80歳。心からおめでとう、有難う。 これからも支え合って「明るく楽しく爽やかに」人生を送りましょう。」 それに続けて、私の反省を伝えた。私は、仕事に邁進して、家事を全く手伝えなかった、 私の育った世相も反映して、「男は台所に入るべからず」という母親の言葉をいいことに、 ギリシャ神話の「シシュポスの神話」 私も含め、息子二人は各々の事情・環境におうじて、伴侶をサポートしないといけない事を その感謝の意味を込めて、長女、息子の伴侶に贈り物をした。 その後、スライドの写真を見ながら、ワイワイガヤガヤ。楽しく、名残惜しく散会したが、 写真別送。 「2」 成瀬巳喜男監督「めし」。傘寿のお祝いの夜に観る。 傘寿の祝いを終えて、帰途息子に送って貰って5時に帰宅。 軽く食事を終え、ゆったりと映画を観ることにした。 録画してあるリストから、どのような筋書きかも知らず、なんとなく「めし」を選択した。 「めし」は林芙美子の未完の絶筆が原作である。 時代は1951年。私が11歳の時。日本がまだまだ貧しい時代。 結婚5年目、倦怠期を迎えた夫婦。些細なことから、違和感と不信感を覚え、 妻は、日常に苛立ちを覚え、「私の人生とはなんだろうか? このままでいいのか?」と 上原謙と原節子の当時の美男美女が 貧乏な平凡なサラリーマン夫婦を淡々と好演。 実家に戻った後、どのような結末になるか? 林の原作では未完のため結末に至っていない。 現代的な発想では、離婚かなとも想像したが、夫は全く悪気がない。 そのような夫に対して 妻はほのぼのとした愛情を思い起こし、元の鞘に戻る。 なんとなく、やるせない哀感が漂う。タイムスリップして案外引き込まれて観ていた。 この後、日本は著しい経済成長を見せていくことになり、次第に 夫は猛烈サラリーマン、 私の時代はその最たるもので、猛烈会社人間の父親の背中を見ていた私達の息子、 私が、妻の「傘寿のお祝いの会」で述べたように、 その次の世代、30、40代は ワークライフバランス時代で、 妻がキャリアウーマンなら 当然だが、専業主婦なのに、家事、育児は完全に分担、 夫婦の問題は 夫婦にしかわからないと言われるが、夫婦間の力関係もあるのだろうが、 以上 |
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