19期 五百旗頭真氏の 葬儀報告   24/03/12




山岳部員としてもご冥福をお祈りいたします
後10年、残念です
福田


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日付: 2024年3月11日(月) 20:48
件名: [六甲学院山岳会:244] 19期五百旗頭さん ご葬儀のご報告

皆様
いつも大変お世話になり、ありがとうございます。
総会世話人の佐藤です。

塩村会長の代理として、私が所属するカトリック夙川教会で執り行われた葬儀・告別式に
出席させていただきましたので、
誠に僭越ながら簡単にご報告させていただきます。

ご経歴等については、皆様の方がはるかに よくご存知と思いますが、
日経新聞の切り抜きを 添付させていただきます。

記載のほか、宮内庁の参与も務められていました。


会場には伯友会の弔旗が掲げられ、司祭が説教で強歩大会や校長の長い話に触れるなど、
六甲葬のような雰囲気でした


大変勉強になったご葬儀で、思わずメモを取りました。ざくっとした要約ですが、
趣旨を汲み取りいただければ幸いです。



司式は、喪主の長男・五百旗頭薫氏(49期)の六甲6年間の恩師、イエズス会の李聖一神父。

「一粒の麦は、落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」

 (ヨハネによる福音書12章24節)をもとに説教されました。


『故人は、阪神淡路大震災の被災体験をもとに、
東北地方太平洋沖地震や熊本地震の復興に尽くされた。

それだけに能登半島地震を目の当たりしながら
何もできずに逝くことを残念に思われるに違いない。

政治学者としては、日本一国の国益のためではなく、
世界のため、人類一人一人の平和や幸せを考えられていた。

お父様の真治郎氏はトマス・アクィナスを経済の視点で研究され、
国益ではない一人一人の善、「共通善」を唱えられた。

そうした考え方を受け継がれたからこそ、皇室からも供花をいただくことになった。

「一粒の麦は、落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」

は、後に続くものが引き継ぐということ。志を受け継いで多くの実が結ばれる』

喪主挨拶でも、多くのお弟子さんが育ったことに言及されていました。



薫氏に「六甲山岳部OB会から参りました」とご挨拶したところ、

「父は山岳部大好きでした。天国に山がないのは残念ですが。
いや、山がないなら山を作るかもしれませんね」。

個人的には、薫氏が喪主挨拶のなかで

「父はあと10年は頑張る、と今後やるべきリストを作っていた」と語られたことが衝撃でした。


2021年10月にはオッサンの墓参、摩耶谷のBBQにご出席いただき、

「困ったことがあったら声を掛けてくれ」と励ましていただき、大変嬉しく思いました。


五百旗頭真先輩が 天国で安らかに眠られることを 心よりお祈り申し上げます。