カール・サンドバーグ   22/11/16


ひょんな (これは 日本語?) ことから 
カール・サンドバーグに付き合わされ それなりに彼を探索した。

「カール・サンドバーグ」を添付します。

彼の活躍した時代も知ることができ 
また
彼の「日本人観」が寸描された資料にも出会えた。





11月16日カール・サンドバーグ  

異邦人(国籍不明 確認する気はない)と
米国の話題で それなりに盛り上がる。

シカゴも俎上で 何んやかやと
当方も 1972年~81年にシカゴ駐在
事務所も住居も市の領域から離れた 郊外での生活。

彼が 「シカゴならカール・サンドバーグ」と 
知識を披露してきたが ツイていけない!
当方 その名前は耳にしたが 過去の小説家程度。

すると
サンドバーグ知らずして シカゴを語るなかれの
態度に出てきた。

帰宅後 「くそっ あんなのに負けるか!」で
8-11月コロナ外出自粛期を サンドバーグの
資料アクセスで 戦闘の開始。

ロシアのプーチンは 戦場へは乗り出さず
後方の安全圏で 「突撃!」と叫びまくるが
日本のプーチンは 真夏と秋の戦場へ
老骨に鞭を振りの 単身の猛突撃。

得た結論では サンドバーグは
異才であり 心に留めておくべき人物で
それを識りえたことは ハッピーであり
異邦人に 感謝をしたい。

だが・・・

サンドバーグの故郷 ゲールズバーグはシカゴから
直線距離で248km 自動車距離で314km
駐米時 彼の故郷とは知らず
この地の「鉄道博物館」へ行ったことがあるが
記憶では 建屋ではなく 屋外の野外の
車両 ゴタゴタの 展示だったように。

サンドバーグの略歴:

1878~1967年 スウェーデン系アメリカ人
記者で詩人で作家で脚本家
リンカーンの伝記で 全米で知られ
ピューリッツァー賞を受賞。

若き頃 志願兵として米西戦争(1898年)に参加
郷里ゲールスバーグの大学に入学し
卒業することなく退学。

ミルウォーキーで、社会民主党に入党し
社民党市長エミル・ザイデル
この 米国最初の「社会主義市長」の秘書に
夫婦には3人の娘。

第一次世界大戦中彼は戦争特派員
1912年~28年 シカゴとその近郊に住み
シカゴ紙の記者として活動。

1916年に出版の詩集"シカゴ詩集"で 一躍有名になり
その中で彼は シカゴを次のように表現している。

Chicago
HOG Butcher for the World,
Tool Maker, Stacker of Wheat,
Player with Railroads and the Nation's Freight
Handler;
Stormy, husky, brawling,
City of the Big Shoulders:

シカゴ
世界のための豚屠殺者、
機具製作者、小麦の積上げ手、
鉄道の賭博師、全国の貨物取扱い人、
がみがみ怒鳴る、ガラガラ声の、喧嘩早い
でっかい肩の都市(安藤一郎訳、岩波文庫)

詩人としては 20世紀初頭の
「シカゴ・ルネッサンス」の重要人物の一人
との位置づけで 労働者階級の英語を使用とか。

上記は一部であるが 原文を読むと
素人目にも 文法的に 例えば
単数・複数の扱いに違和を感じするが
躍動的で 記憶に残る 単語や表現の羅列で
オモシロイ!

1919年には 「シカゴ人種暴動」を追い
赤い夏( Red Summer)と称され
米国36以上の都市において
1919年の夏から初秋にかけて発生した
人種暴動事件で 白人がアフリカ系を襲い
一部では黒人も反撃して
シカゴ、ワシントン、アーカンソー州
では多くの死者を出した。

「リンカーン伝」6巻本は シカゴで執筆
ピューリッツァー賞(歴史書部門)を受賞。

サンドバーグは 多くの名誉学位を受け
今も 6つの高校と5つの小学校に彼の名前が。

だが 深入りするにつけ 疑問も湧き上がる!
資料を読むにつれ それほど担ぎ上げる人物か?

疑問① 当時の米国が 社会主義者を受け入れたか?
彼は 「私は民衆、暴徒、群衆、大衆である」と言って
子供向けの童話さえ書き 時代の流れを自流し
有効に活用できる 遊泳術に長けていた?
人種雑多と移民雑多の米国では
きれいごとだけでは 生存は保証されないが。

疑問② 人種差別者としても 存在感あり
日本人や黒人への差別証拠は 以下に:

詩集Cornhuskers Page 35 1918年
邦訳本はない

I have seen farmhands with their faces in fried catfish
on a Monday morning.
And the Japanese, two-legged like us,
The Japanese
bring slices of watermelon into pictures.
The black seeds make oval polka dots on the pink meat.
Why do I always think of niggers
and buck-and-wing dancing whenever I see watermelon?

日本人達(bringとあり複数)と スイカと 
黒人(niggers 今は禁止用語)の登場の 
「三題噺」である。

当時(今でも) 米国ではwatermelon(スイカ)は
貧しい黒人やアジア系移民連中の 食べ物であり
異人種への差別側は 決して 外部的には 忌避し
口にしないものであった。

小生 1966年初に最初のNY駐在時に
マンハッタンの28番街の 日本人の定宿の安宿
Prince George Hotelに滞在
デザートに 大切りのスイカが 名物
事務所の白人女性秘書から スイカは食べるな!の
理由付きアドバイスがあった。
1ドル=¥360の時代で 米ドルも持ち出し制限の頃。

彼の歌う
「我々と同様の 二本足歩行の 例の日本人ら」
とは どの程度の 人種への感情移入表現なのか?

この種の感情は 彼だけではなく 一般の白人共通の
見方であったであろう。

今は禁止用語の nigger(黒人)は
1960年代までは 白・黒間で自由に使われていた
との記述もある。

疑問③ 松本清張とのダブり
当然 相違点はあるが イメージが重なり
清張ほどの 多くの作品に漂う陰気さは
サンドバーグにはなく むしろ陽気さ対応であるが
作品に底流する 読者を嫌がらせ 不安にさせ 
いつも自分は 正義の源泉のように振る舞い
深く洞察すると 勝手気ままなリアリズムに
陶酔しているような作風が 両者の共通点である。

サンドバーグの ある種の陽気さ 
清張の 源流と本流と支流の
底を流れる 一貫した陰気さ
この違いは 広大な大陸育ちと
狭小な島国育ちが 原因であろうし
千畳敷と四畳半の 違いである。

さて
米国在住者(複数)によると
シカゴ近郊のSandburg Schoolを子供が卒業したが
Sandburg知らずとか
シカゴ近郊育ちで他州へ移動したが writer程度の記憶とか
サンプルが少ないせいか サンドバーグは 今や過去。

米人の 極端批評には この程度のシカゴ詩集なら
6歳の娘たちでも 書けるとも 言われていた。



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