利 用 と 存 在   22/10/03






10月03日 

この時期 人口41万の豊田市もコロナ感染者が毎日300人台。
後期高齢では自由気ままな外出も控え 自重の日々。

新聞を丁寧に読む機会も増えたが
広告が全面抜きで超拡大文字が「松健サンバ」のように躍り出て
拡大された美女の写真も紙質のせいで「オバハン」顔になり
全紙の30%が広告(読売新聞)で
テレビや放送番組の「ムダと無駄番組」のオンパレード。
俳句や短歌の欄も、今や文字が拡大され読みやすい。

これでは、新聞社は新聞代と称して広告を買わせる詐欺
統一教会の霊感商法と大差はない。

新聞を値下げさせるのが、岸田総理の支持率回復への近道。

民主主義と自由主義は「狂気」の時代に突入し
気付いて入る人も、気付かぬ人も「統一境界」へ。
体に悪いので、ボヤキは中止。

追記:先週「松健サンバ」の参加者(複数?)が
   アホラシクテやっておれないと降りたとか。

吉井



利用と存在

メルヘンチックな手法や思考を横に置き 結論を急ぐ。

全ての「利用」は 「賭け」つまり「賭博行為」であり
また 生きとし生けるものは
他者を利用するから その存在が確保されている。

人間も 生を受けるに母体を利用し
外界へ放出された途端に 他者を利用し
以後は 他者の意識・無意識に関係なく
他者を利用して 食行動を開始し
生命と行動の継続を 維持できる。

やがて 利用する側も 時を経るに従い
他者に 確実に利用されているのが 現実である。

西洋の古哲 曰く 「人間は 考える葦である」
現代訳なら 「人間は 利用する葦である」
修正訳なら 「人間は 賭ける葦である」

 

統一教会問題では 教会側は信者を 信者側は教会を 
それぞれが含むところあり 相互利用したのであって
つまりは どちらも利用しあい 賭けをしたのであり
今さら 「騙された」と言うのは オカシイ?

洗脳やマインド・コントロールに 
騙されたふりをしながら 接近し 賭けたのであり 
自己責任であり 教会側が訴えられるなら 
教会側も 「騙された!」と主張できる?

明言するが 小生は 統一教会とは 一切 関係はない!
講演頼まれず イベント参加せず 寄付ない。

解決もできない 統一教会問題解決に 
また それを知りながら 莫大な国費と時間を
民主主義と称する国の 司法の欠陥で
今後 延々黙々と 税金浪費をすることになり
なぜに 関係なき国民がそれを 
負担せねばならないのか? 

その必要は ない。

この様に 社会生活に放り出されると
利用の旅の開始となり 利用なしの人生はなく
利用の停止が 人生の停止である。 

利用により 満足するなら 「効用」の段階であり
経済学者が調子に乗り 利用を軽量化し
ややこしく解説した 経済学の基本的概念で 
利用者である受益者は 
検索した 財やサービスや安堵を得て 
己の感ずる 満足の度合いに 遭遇したことになる。

言えることは、人間のすべての行動は
「賭け」であり「利用」である。

朝起きるのも 食事をするのも
散歩するのも 医者へ行くのも 
処方薬を飲むのも メディアに接するのも 
賭けパターンで 例外はない。

霊感商法での 被害の訴えは
パチンコですった 麻雀でパー
競馬でスッテン 偽情報に騙された 
株で損をした 「金返せ!」と同類で
きりが無いので この辺で。


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