アラスカ 買収   22/06/20






アメリカ史で 他国も関係して興味深いのが
ロシア帝国からの 「アラスカ買収」。

世紀的難題と取り組みと成功を成し遂げた
William Sewardに 焦点を合わせた。

プーチンの ウクライナ侵攻を背景に思いつくままに雑感。



アラスカ買収

1867年3月30日 米国は 
ロシア帝国からアラスカを
720万ドル(5ドル/km2)で購入し
日本は 翌年に明治元年となった。

このアラスカ買収(the Alaska Purchase)を
ロシアと交渉し まとめ上げたのが
ウイリアム・セワード(William Seward)で国務長官。

リンカーン大統領により 国務長官任命をされたが
1865年にリンカーンが暗殺され
自宅にいた彼も 暗殺者一味から重傷を受け
危く最悪は免れたが 家族も重傷を負っている。

事件後 副大統領アンドリュー・ジョンソンが
大統領になり セワードは現職に留まり
副大統領は不在となり これが結果良し?

「偉人」の定義は 様々であろうが
セワードは 21世紀の今も
その業績を称えられるべき偉人であり
政治家であり 逸材である。

もし アラスカが ロシア・ソ連・ロシア領なら
今の地政学的状況は 激変しており
呑気なカナダも 平和連呼の日本も
米国さえも 想像をはるかに超える
地獄図の真っただ中に放り込まれており
日本などは 第二次世界大戦後
国内の増大しつつあった親ソ派勢力の協力で
完全消滅していたであろう。

また 親ソ派連中も 征服者に感謝されるどころか
歴史の生き証人となるため シベリア送りか粛清され
セワードに感謝しすぎることはない。

米国の当時のメディアも政治家も国民も
セワードのアラスカ買収交渉を しつこく非難し
「セワードのバカ」や「巨大な冷蔵庫買い」とか
「北極熊の庭園買い」とののしり あざけった。

リンカーン暗殺の背景には アラスカ買収に対し 
暗躍した強硬反対派の彼らの存在も?

また 副大統領がおれば
存在感を示すために アラスカ買収に反対した?

では アラスカがどの程度の存在か? 米国州は陸地面積
世界順位 国名 面積 km2  比率

1   ロシア   17,098,246  100
2   カナダ    9,984,670   58
3   アメリカ    9,833,517   57
4   中国     9,600,000   56
62  日本       378,000  2.2
xx  アラスカ   1,481,346  8.6
xx  テキサス     678,051  3.9

なお 米国内順位で 飛び地のアラスカは1位で
テキサスが2位で 日本の4倍の面積である。

ロシアは クリミア戦争後の財政難で
米国にアラスカを売却したと 米国史は述べるが
17世紀初頭から ロシア帝国は
アラスカの地を植民化し 将来展望を託し
クリミア戦争は 帝国ロシアとオスマン帝国が
遥かなる中東のエルサレムの管理権を争い
やがて当時の列強が介入し 当事者の両国
ロシアとトルコは経済的にも疲弊。

面白いことに 独立前後の米国は
民間船も軍用船も 最強を誇る英国海軍の艦船に
追尾され臨検され拿捕されっぱなしで
ユニオンジャックを遠望すると
逃げ回っていたのである。

当時の英国海軍は 陣容と威容を誇り
艤装は 実戦向きに徹して練度も世界最高の
英国海軍伝統を前面に 船乗り程度の米国は
なすすべなし。
相対するのが 艦長と 艇長か船頭の違いと理解すればよい。
今の中国が フィリピンやベトナムの艦艇(?)を
追い回している動画なら 
中国が英国で フィリピンが米国の役割分担。

その英国も かつてはスペイン無敵艦隊に
様々な仕打ちを受け 逃げまわっていたのに
1588年(以後ぱっぱと覚える)この無敵艦隊
130隻が 英国海軍に撃破されスペイン衰退へ。

やがて 米国も英国への対抗心を高め
大西洋では不利なので 太平洋に目を付け
ぺーリー提督の日本への遠洋航海も
この企画の一つであり
アラスカ買収も そのような時代背景である。

1600年初の江戸幕府の開府以来
鎖国への自閉症の日本が 今の緊迫する世界情勢でも
なんとか 国としての体面を保てているのは
155年前の セワードの深慮遠謀のお陰である。

弁護士出身のスワードは 奴隷制に激しく反対し
法廷では逃亡奴隷を弁護し
憲法よりも「高次の法」があると信じ
奴隷制は道徳的に誤りであると主張した。
もし奴隷制が廃止されないならば
アメリカは内戦に巻き込まれるという演説を行った。
(Wikipediaによる)

当時 不可抗的異質者のカール・マルクスは
セワードを批判し それだけセワードの
政治家としての存在証明にもなる。

退官後の晩年 400日の世界一周
横浜・神戸・長崎に寄港し 明治天皇にも拝謁した。


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