現 状 打 破 2   22/03/08






2月24日のロシアのウクライナ侵略。
太平の惰眠から覚めるか日本と世界。

プーチンの真の狙いは、隣国の中国や北朝鮮への恫喝であり、
世界で存在感を急騰させる中国への威嚇でもあり
ウクライナがダシにされた。
それを知っているのが中国と北朝鮮である。

ついでに日本も脅かすか。
プーチンやロシアからすれば米・英・仏などは遠吠えのトイプードル。

「現状打破その2」を添付。



現 状 打 破 その2

先ずは結論

習近平や普丁(プーチンの中国語表記はこの程度の扱い)
や金兄妹こそが先頭集団を堅持する現状打破レース
中継はすれど沿道に応援者も賛助企業もいない
独走態勢の現場はますますの混乱と深刻化。

しかもこの先頭集団が戦闘集団化すれば
習普金の独走トリオからすれば
他国や他国民は
射撃場の動かぬ標的に過ぎない。

その標的のひとつ日本の
B社が2021年の崩壊前兆の
海外主要拠点(複数)からの撤退開始で
世界を席巻したタイヤメーカーの歴史の終わりは
日本の製造業が今世紀から一様に抱える
後進への「ノー・ブレーキ」の典型であり
逆走にアクセルを踏み続ける
日本の半導体製造業のパターン。

いつまでも松下幸之助ご老公を賛美し
稲盛和夫ご老翁を憧憬とする日本の経営風土
それが停滞へのさらなる進行を助長し
伝記者やメディアを介しての賛美と懐かしさと
膨らませた伝承のイメージで語り継ぐことこそが
厳しい未来への挑戦を妨げようとして来た。

一過性の成功や増幅された美談を
「過去」と「化古」と認識し
将来と直結する「今」からは
現状打破で切り離すべきは 今。

国家権力が突然にまやかしの法律で
突然に個人を拘束する国連の常任理事国
まだその脅威にさらされずに
自由に行動できる側にいる今の我々は
流動する日々の事象に対して
貴重なる「時」・「時間」・「空間」とは何か?
あらためて問いかける必要がある。

古来の有閑な哲学屋から提起されて今や
相対性理論、量子力学、宇宙物理学での
ややこしくて難解な
説明者だけが理解できそうな解釈もあるが
「時間」は単に主観的な問題か? 
実在するのか?
出来事相互の関係であるのか?

それに対しての
現代科学では「時は流れず」と考えるらしく
すべての出来事はただそこに在り
より前やより後あるいは
同時といった関係だけが成り立ち
出来事はただそこに存在する ???

これは過去・現在・未来を不要とするもので
因果関係さえ疑われ実在するのは出来事だけ。

だが
重要なことは眼前の様々な出来事や事象や実存に
「時」や「時間」や「空間」に鋭利な刃で切り込みを
先送りすることなく今しなければ
国も企業も存続と持続性を維持できない。

当に「鬼滅の刃」である。

「鋼の長城にぶつかり血を流す」「教師づらした説教」
過日の北京で催された
中国共産党の結党100周年の祝賀式典での習近平。

強烈な表現で米国と諸国の
「外圧」への対抗姿勢をあらわにし
「我々をいじめ服従させ奴隷にしようとする
外国勢力を中国人民は決して許さない!
妄想した者は
14億の中国人民が血と肉で築いた鋼の長城にぶつかり
血を流すことになる」と血迷と血流の激烈なる演説。

東京から2100kmの北京での爆弾炸裂演説であり
地震のたびにビビり反応するが
太平と承平感の漂う日本では
日頃は何でも騒ぎの種にするマスコミも
近くて遠い隣国からのさざ波としての受け取りで
反応する気力と敏感さもない。

この演説の成り立ちは
古くは中国の「頭破血流」思考にさかのぼり
夫婦げんかで夫が妻を殴りつけた時に使われ
今の中国人なら誰もが知る慣用語で
敵対する悪人などを血流をもって
「さんざんな目に遭わせる」ことを表す。

ただ
この「頭破血流」思考と思想は
日本ではその表現の血腥さに動揺して
「漢文」をありがたく押し戴く
孔子学院のOBである江戸期の漢学者や
儒者(実態は講釈師)の忖度で覆い隠し
我が国では紹介されずに今に至る。

論旨を明確にするために敢えて踏み込めば 
大阪の河内には
「オンドリャー ドタマ カチワルド!」
「テメー イテコマスゾ!」
「ワレ ナニサライテ ケツカルネン?」
「クチニ テェーツッコンデ 
オクバガタガタニ イワシタルゾー」
の表現が現存しており
近接するみやびな万葉の奈良や
たおやかな京都とは近くても馴染めぬのは
この地の古くは大陸帰来人や帰化人の多いせい。

西遊記では怪猿の孫悟空が関所の役人を如意棒で
「頭波血流」の血みどろの滅多打ちの
記述がある。

もっとも日本にも「目玉焼き」という
直訳を知った外国人からすれば
一瞬にして固まりそうな表現があり
「おなら」「おしっこ」「おトイレ」「おかま」等々の
「お」の日本式羅列には困惑する彼や彼女達には
「お目玉焼き」と紹介するのも一案か。

さて
このような激変中の世界から目をそらす
今の日本を覆う世相と
戦略なき小手先の戦術と抽象的な国家観

身近にして最悪の例が
日本国憲法前文:

日本国民は、恒久の平和を念願し、
人間相互の関係を支配する崇高な理想を
深く自覚するのであつて、
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意した。
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を
地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、
名誉ある地位を占めたいと思ふ。
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、
平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

ここは「お花ばたけ」の桃源郷か
鳩山由紀夫の「友愛の海」
小沢一郎の事あれば国連が助けに来てくれる
「国連中心主義」で軍備は不要論
隣国を核兵器や侵攻や不法占拠で脅かす
戦闘集団トリオもいなく
原爆もミサイルも飛来せず
日夜の区別なきハッカーもサイバー攻撃もなく
細菌兵器として隠密培養されたコロナも
被差別を理由に差別と狂暴化する米国黒人BLMも
いない理想郷にひたり
ポンツクぽんつくの平和連呼の
「阿呆陀羅経」の世界観で
「本地垂迹説」をもじって
地政学では「本地衰弱説」となる。

その結果は案の定の
川の流れ絶えずして提案なく何でも反対の議員連中の
その議論の視点もいつも主観的でずれ
時間つぶしの国会論議と
政・官・学・民とメディアの
世界情勢に対する真剣さなき見通しの甘さ
なぜこれほどまでに
国家観・世界観や経営観が貧弱なのか?
これこそは政治家のみならず
われわれ日本人の世界観の無さの表れ。

政経分離などと吞気なことを言える時代ではないが
政治家も経営者もわれわれ市民もその自覚はない。

原因は
在りもしない自己の能力への絶対的自信と過信
経済大国意識への寄りかかり
それが伴う責任意識の希薄さこそは
代々受け継がれた
日本の指導者や経営層や教育者の本質的な限界であり
否 われわれ自身の限界である。

問題が生ずると「第三者委員会」設立は
「消極的選択」への逃げ込みで
解決策とはならない愚者の選択の横行の現実。

目を転じて世界を見れば
歴史は科学法則で動くと見たマルクス主義と史的唯物論
かたや理性こそが人間を支配するという自由と民主主義
だが眼前の現実は歴史は直線的には進まず
世界の全ての人間を平和で豊かで幸福な状態に導くという
進歩史観は夢想となり
「学」の世界ではなく
騙されたい大衆相手の「邪宗」の世界でなら
通用する誘導説話である。

宗教を排除・廃絶しようとしたマルクス主義こそが
邪宗化しそれを拠り所とする今の現実。

大衆と民衆が主役の社会と国では
「エセ平等」に伴う社会の平準化と
多様性を尊重しすぎての本質的個性の喪失
国家介入によるビジネスの変質性と異質性と
それらがもたらす脆弱化の氾濫で思考力も萎え
他方
これに抵抗している独裁者と独裁党が前面に出て
今の「中国」「露西亜」「北朝鮮」とその同調国は
「独裁個」や「独裁党」が「国家」への盲従を強要し
強要された「時空」を強要する今の現実。

従来の自由主義・民主主義国では
民が過剰なる要求を国に求め
相対する
従来の非自由主義・非民主主義国では
党や独裁者が過剰なる要求を民に求める。

では 日本の将来をどうするか?
危機感と悲観主義を連呼しても解決にはならないが
民族的・文化的に同質性の高いと言われる日本は
明治以降に短期に国民国家の形成に成功した
かに見えるが
想定外の安定さで慣れ親しみ
その悪弊と結果は今や
日本を取り巻く世界情勢の急変さには
読みと適応力に欠ける日々。

21世紀は今までの国民国家の時代から
中・露と米欧連合の各帝国間の
激しく頭突きの時代に移行しつつあるが
日本は護持する憲法の金縛り状態で
これら新帝国が見下し冷視している日本は
闘牛場の馬糞かそれ以下の存在である。

以上の条理から
現状打破の解決策は
「憲法改正」である。

日本が頼みとする米国は斜陽化が進み
当方は人種差別者では決してないが
避けて触れたがらない主原因は
米国での黒人の台頭である。
トランプが踏み込もうとしたが
やり方は不味く逆効果を招いた。

民主党の人気取りで重用され説得力は二の次で
国際会議では存在感うすき黒人に
ロシアも中国もアラブ圏も冷ややかに距離を置き
米国内でも
被差別を理由に白人への差別に走り
歯止めが利かず狂暴化する黒人BLM
黒人間での殺人犯罪と
彼らの本場アフリカ諸国では
彼等どうしの闘争と嫌悪は
止むことなく熾烈であり
米国の内なる彼らの脅威の増大で
好転の兆しは皆無で
米国の弱体化は避けられない。
「目覚めよ米国!」である。

陸上競技やビートやタップやバイブと違い
政治や経済や軍事や合理性追求の世界では
BLMはBlacks Lack Moralsと見做される。

次なる現状打破は
日本では誰が何をするのか。
われわれが国の運営の基本である
「憲法の改正」を実行することである。
これなくして、憲法前文の
「名誉ある地位を占める」のは不可能である。

以上