タリバンと 桶 狭 間   21/09/17






猛暑も少しづつ遠ざかり 早朝のセミの声も収まり
夜は秋の虫の合奏の開始。

散歩コースの豊田スタジアム周囲と矢作川堤防。
家内と散歩で、堤防の鎖止めをいつものように跨いだが
不覚にも後足が反乱して追従せず
前のめりに転倒し 左手肘、左足膝、鼻の上部に裂傷と出血。
日曜日のため翌日に医者へ。

医者曰く「高齢者は足を上げいるようで上げていない」

この鎖止め いつの日か助走して跳んでやろうと思っていたが
神様のお告げと感謝の日々。

吉井



タリバンと桶狭間 2021/09/17

この間までの 連日の猛暑とコロナの猛威で 
自宅で謹慎の日々。

これではダメと 山間部の自然・人工公園へ
牧場、動物園、植物園、池、野外ステージと
広大さ満喫で 歩き回るが
人まばら レストラン閑散
鳥類へたり込み 猿うつろな目
そのうちに汗が吹き出し 目に入り
最早これまでと 早々に退散。

TVや新聞は 慌ただしい中東の騒動
おかげで 馴染みのない中近東や
コロナと猛威さを競う 「タリバン」に 急接近。

Taliban関連資料を読むほどに 奥が深く
彼の地の歴史を構成する 多民族と分派宗教と
乾燥した土壌や瓦礫が 強烈に迫り 
様々な背景の多人種に対する アフガンへの
外部からの 効果なき介入の
繰り返しと失敗がうなずける。

Talibanの応援者では さらさらないが 
諸国や諸勢力の この地域への介入の頻度と
撤退の厳然たる事実が 存在する。

周囲を他国に囲まれ 大きくもないアフガニスタンの地図
それでも日本の面積の1.7倍で 
人口はその4分の1だが
日本の小ささが 迫り来て 情けなくなる!

その大国に対して
また 外圧と外交では 「ずぶの素人」の日本が 
大先輩のアフガニスタンに 遥か極東から
人道支援だ 援助だ JAICAだ 医療支援だと
浮かれている日本の 独りよがりの矮小さが 
みじめでもある。

自己愛中心の 平和の国の皆々様
人道支援 NGO支援 支援連呼で 
やりたければ お好きなように 
命の保証も 感謝さえもないよ!
混迷と混乱の現地住民からの 必死に生きる
生の反応が 聞こえてきそうである。

東京の緯度 35°で カブールの緯度 34°
5万年前に 人類の痕跡があり
9000年前に定住し 様々な古代文明と古代宗教とが
交叉した 小さな島国日本などは 経験したことのない
試練と死錬の 大地である。

国の中央部 険しい山々が縦走し 脈が高台地となり
ヒンドゥークシュ(Hindu Kush)山脈は
ペルシャ語で「インド人殺しKiller of Hindu」を意味し
長々と 東西南北の交通の障害となり
この障壁を乗り越えて 戦いと交流が続き
この山脈と支脈と谷間が見てきた 
言語も異なる人種の 様々な歴史と文化。

片や 建国245年程度の米国が
対応する土着の彼らにとっては グチャグチャと 
「箸の上げ下ろしを云々する」ように映り
このことが理解できない 米国や同調者の 
この8月の パノラミックな有様 でもある。

民主主義や基本的人権や 女性の権利や社会進出などを
世界共通の普遍的価値観と 押し付けるが
女性差別 否 女性識別や
「目には目を」の刑罰の対等化こそが
彼らの 普遍的で歴史的価値であり
「ハイ 分かりました」で済む世界では ない。

米国から見れば その西海岸にへばりつく
カリフォルニア州と北隣のオレゴン州の
合算面積にも満たない アフガニスタンへ
威勢のいい 河内音頭ならぬ
ブッシュ音頭で 「一丁 揉んだろか」
いやこらせぇーと 総踊りで20年を経過し 
やがて
河内訛りならぬ バイデンのデラウエア訛りで
「どもしょもない やっぱり あかんわ! 
わしら 疲れてもたぁー! 
ほなら いぬでー! さいならぁー!」

ソ連さえも 不撓不屈の共産主義イデオロギーで 
武力で押さえ込もうとして その野望は失敗し撤退したが
ソ連軍の死傷者の多数は 徴兵された非ロシア系であり
その数5万人も 全て情報操作の卓越国であるが
当時の欧米では ソ連が
連邦内の将来の禍根を取り除いた功績を 
高く 悪評価している。
米国は 20年と2500人近くの米兵の命を費やした。

資料から読み取れるのは
アフガニスタンは 勇猛な部族の集合体
国家意識はなく 合従連衡を繰り返す 部族の集合体で
中央政府の影響力は無くて 治安が常に不安定。

東と南にパキスタン、西にイラン、
北にトルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、
北東に中国と国境を接する多民族国家で
現在の人口は約3800万人。


以下は 私論であるが:
アフガンの地図を眺めていると
タリバンが織田信長 今川義元は米軍
アフガンの山塊は 日本の桶狭間
永禄3年(1560)の戦いが浮かぶ。
アフガンは 今も日本の戦国時代 そのものであり
信長や当時の日本人が
民主主義、基本的人権、男女平等、法治国家を
甘受できるか? 出来ない!

だが 日本の現状を視れば
与野党乱立は アフガンの多宗派の闘争と同じ
出来もしない公約の乱発
国会審議は 揚げ足取りのパフォーマンス
調子に乗ってテレビタレントが 政治評論家になり
中露韓が わが国境の侵犯を 執拗に繰り返しても 
無為無策にして 為政者も国民も 無知にして無反応
これでは 外部者が視る アフガニスタンと変わらない

日本での殺人犯は 3人殺めて死刑の論議
被害者の人権は 三分の一に低下し
加害者は 至れり尽くせりの 国を挙げての保護。

タリバンの「ムチ打ち刑」を非難するが
日本では メディアこそが
その被害者を 嗅ぎまわり 求めて
ムチの役割をなす。

ここで 冷静に立ち返れば
アフガニスタンやタリバンこそ
国家意識が濃厚である ことになる。

唯一の違いは ここ日本では 
「命のやり取り」がない 安全地帯の「お花畑」。