自 省 録 と 下 り 坂   21/05/21


この時期、明るいのは 大谷翔平の米国での活躍ぶりと
散歩で出会う ジイさんの禿げた頭ぐらい。

添付の「自省録と下り坂」の「自省録」の著作者の皇帝は言う:

君がなにか外的の理由で苦しむとすれば、
君を悩ますのは そのこと自体ではなくて
それに関する 君の判断なのだ。

これを信じるなら、心の持ちよう次第であり、
ヒマだから考えるのである。

それにしても・・・






     自省録と下り坂

自転車を 懸命にこぎ 
      ひたすら登る 下り坂


生まれた国や同胞を ケナス積りは全くないが
今の日本の人々や 国の有様を観ていると
「坂の上の雲」を目指しながら
「下り坂突っ走り」状態にある。

振り返れば
「真実一路」 1930年代  著作   山本有三  
「一帯一路」 2010年代~ 指導  中国共産党
                  生徒  隣近遠諸国
「下坂一路」 2020年代~ 監督  日本国会議員一同  
                  助監督 日本メディア各社 
                  主役  日本国民 

遠き学生の頃 教師に勧められ「自省録」に挑むが
懸命に取り組み 挑戦したものの
面白くもなく 興味も失せて 途中下車したが
著者のローマ皇帝 マルクス・アウレリウスは 
それだけに 今も記憶に鎮座する。

皇帝の 悩みや思いや反省が 所狭しと
翻訳書にありがちな ごちゃごちゃ記述で
著者と読者との間には
置かれている立場が 全くの異次元の世界であり
当然に 共感も共鳴も 関心も湧かないし
教師に感想を聞かれ 「難解です」と逃げた。

最近不図 この「自省録」を想起し Wikipedia に当たる、

自省録』(省略化)
16代ローマ皇帝のマルクス・アウレリウス・アントニヌス
(在位 161年- 180年)が
政治家としての日々の悩みや
自らの行動を省みる言葉などを書き留めた
12巻から成る備忘録。

最後の五賢帝でもある彼の時代は、
ローマ帝国の繁栄にかげりが見え始めた時代で、
洪水など各地の天災や飢饉そしてペスト、
またローマ軍最高司令官として
敵の侵入や各地の反乱 そして部下の離反など、
日々苦悩の連続であり なんとか解決策を見出そうと
自問自答する毎日で
後期ストア派の哲学者としても知られる
この覚書きは 彼の思想を直接知ることができる。

だが 歴史は冷酷で 彼の以後は
北方のゲルマン民族侵入の激化で 遂に
不滅と思われていたであろう ローマ帝国が
疲弊・衰亡し 見事に崩壊していく。

何を言いたいのか?

その1:皇帝解剖
一大帝国の指導者でありながら
日夜苦悩したり それをしかも丹念に
書き記すような人物が
外憂内患の大激動期に 対応できる筈がなく
余程に 現実から ひたすら逃避の 
ある意味では ヒマな皇帝であったと 判断する。

五賢帝と 当時言われていたのではなく
後世の歴史家が 懐古趣味のついでに
レトロ感覚で ローマ帝政に思いを馳せた結果の
命名であろう。

邦訳では「自省録」とか、「瞑想禄」とあるが
皇帝曰く

① 幸福はその人が真の仕事をするところにあり、
⓶人間のあり方を論じるのはもう終わりにし、
  そろそろ良い人間になったらどうだ。
③ 一つ一つの行動を人生最後のもののごとく行え。
④ 何かをするときいやいやながらするな。
⑤ 利己的な気持からするな。
⑥ 君は理性を持っているか? 
  持っているならなぜそれを使わないのか?
⑦ 神々を畏れ人々を助けよ。人生は短い。
  地上生活の唯一の収穫は敬虔な態度と
  社会を益する行動である。
⑧ 君がなにか外的の理由で苦しむとすれば、
  君を悩ますのはそのこと自体ではなくて
  それに関する君の判断なのだ。


最後の⑧などは 自分の悩みの自己分析が
きちんと出来ているのである。

だが このような指導者を信じて 行動を共にすると
時代と環境と現実は 厳しく 待ってはくれず
破滅へと走ることに なった。

このようなレベルで 
史上初の一大帝国の指導者 とは無理な注文であり
帝国簒奪を窺う 外敵のゲルマンにとっては
「張り子の虎」のような 存在であったろう。
以後 ローマ帝国は 下り坂を突っ走る。

日本なら 江戸時代には 二宮尊徳翁や
はいて捨てるほどいた 儒学者のレベルである。
「儒学者」と呼ぶのも 後世の歴史学徒が付けたもの。

「言行」の「言」の部分は まことに立派であるが
このような指導者を信じて 行動を共にすると
破滅への「下り坂」を ひた走ることになる。

「真実一路」や「一帯一路」が
「下坂一路」へと誘導することへの覚醒は 今。

その2:日本の現況
帝国ではないが 時代背景が 日本の現況が相似しており
強力な指導者はいなく 異民族は日夜侵入し
周囲の外敵(複数)は 侵略を窺い
民は 天変地異と疫病で 右往左往で疲弊のさなかに
下る坂は急勾配を 「五輪車」で脇目も振らず。

だが これでオシマイでは 
昭和生まれの年寄りが ぶつぶつ言っただけ。

書きながら 自省の「省」が 役所の「省」と
なぜ 外見的な同一性があるのか? 
少しばかり 入口を覗くと:

「省」起源の由来として 「省」は二つの読み方があり 
一つはShengと発音し 省くとか省略する
一つはXingと発音し 内省するとか反省するとか悟るの意味。

甲骨文字⇒金文⇒小篆⇒楷書と変化し「省」と書かれる。

「省」は細かく見て観察する(審査する)で
また 過ぎ去ったことを省みる意味でもある。

「省」は 王宮の禁止区域で 男性禁入・禁制で
査察が不可の ハーレムのようなもので
中書省や尚書省の 官署の名称となったとある。

結論:「省みる」も「省く」も
どうでもよいことに 深入りした!
ので この辺で。


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