中村神父メール   21/08/05


 文句なしに 暑い夏の日が続きます。 お元気ですか。
夏が寒ければそれこそ大変。 とはいっても、流れる汗、眠れぬ夜、
やっぱり大変ですね。

教会報に、少しネタがなくなってきたかも。 どうぞ健やかな日々を過ごされますように。

この間は、断りなしに(?) 六甲11期生の小品集、
疎開世代が歩んだ人生を振り返って 「八十路に思う」が 数部送られてきました。
もしも 興味があれば、お送りしましょう。

全く六甲の学校では 会わなかった先輩の期生ですが、
編集者の一人、井上正順は 私の従兄弟で、戦後すぐ
に大連から引き揚げ、
実家に しばらく同居していました。







六甲春秋 26  荒れ野の旅

8月の初日は日曜日となり、私たちは猛暑のなかにも 主日のミサ・主イエスの復活を心して祝う。
真夏と言っても 冷房装置が何処にも設置され、暑さもしのぎ易くなった。
しかし 個人差がかなりあるようだ、私としては 汗をかきながら熱いお茶を飲むのを好むが。

しかし先日は生まれて初めて、日傘なるものを使ってみた。
なぜか女性が使う物という固定観念があって 今まで避けてきたが、頭を締め付ける夏帽子をかぶることに
比べると、はるかに快適かつ効果的なので 日傘の出番は大いに増えそうだ。

さてかなり以前から、荒れ野を旅するイスラエルの姿が 毎朝のミサ朗読で読まれている。
今日の主日にも 呟きボヤク民に、主なる神はマンナと肉を約束する。
この後に イスラエルの民は、渇きを癒す水も求めることになる。
モーセは 民と主との板挟みとなって大いに苦しむ。

しかし 民は逆らいと文句の限りを尽くしながらも、
次第に主なる神・ヤーウエの導きや選びを 受け入れ応える事を学んでいく。
荒れ野の旅は、主なる神との近さと 親しさまた遠さを体験し、呟きと逆らいを通して
一つの民として鍛えられる道のりであり、また乳と蜜の流れる約束の地・真の自由に至る
遥かな遠い多難な歩みである。

現今のイスラエル共和国は パレスチナの大地を我が物顔に支配しているが、
真の意味で 約束の地に入りおおせたのか 大いに疑問である。
とにかく エジプト脱出・エクソダスこそは救い・解放の元体験である。
それ以後、神の選びの成就は いつも旅のヨソオイを経て 現実化するものとなった。

こうしてイエスはナザレからエルサレムへと旅をした、「私は今日も明日も進み行かねばならない」と。
使徒たちは イエスの復活の生き証人として、エルサレムから地の果てに至る 福音宣教の旅に出かけ、
今もって その途上にあると云えよう。

多くの民族は 当然ながら、遍歴・巡礼・遍路を 信徒の大切な実践として高く評価してきた。
ユダヤ教では かってエルサレムの神殿に詣でることが 生涯の願いであった。
イスラム教徒にとっては、メッカのカーバ神殿に参詣・ハッジとなる事が夢である。

キリスト教では 中世以来、サンチャゴ・デ・コンポステラを目指して世界各地から
身の危険を冒してでも 出かけることを喜びとした。

仏教の国日本では 多くの企てや由緒ある地がある。
四国のお遍路、回峰行・熊野詣で・富士登山・お伊勢参りなどなど、各地で今も行われ尊ばれている。
旅人として迷い倒れながらも 人生行路を歩み、先行きが不明のまま 心新たに今日の一歩を踏み出す。
道中に 避け難く出くわし 身にふりかかる出来事を そのまま受け入れることこそ、
まさに修行であり、出会いと別れのすべてを 巡り合わせ・ご縁として受け入れた。

私の友人で 四国遍路を三回もやった猛者がいた。空海上人と同行二人、
たとい 無縁仏となって 朽ち果てようとも厭わず、時にはお接待を頂き ありがた涙に
くれることもあると語っていた。

彼の体験談では 何度でもやりたくなり、どうにも遍路を止められなくなるとか。
私は残念ながら もう八十八の札所を歩いて巡ることは、願っても努めても不可能であろう。

しかし 今も一つだけ心に期していることがある。
巡礼ではないが、歩くことを決して止めない。人が歩くことを止めると 或いは歩けなくなると、
必ず早々に死ぬという事実を 今まで多く経験してきた。

どんなにゆっくりでも、足が痛くて疲れても、歩いていてさえいれば 目的地に必ず到着するのだ。
一生一歩、一日一歩。

いつも 旅人イエスと共に、歩み行きたいものだ。    

合掌