中村神父メール   21/04/29


何だかすっかりボケてしまいました。そちらに送ったのかどうか、
記憶があいまいになってしまいました。
念のためおくります。どうぞ、よろしいように。

私の方は全くかまいません。
教会報の方は、毎月出していますので。






六甲春秋 22  聖なるヨゼフ

 今年の3月19日に 私は盛大に聖ヨゼフの祝日を、或る修道院の聖堂で 歌ミサを捧げてお祝いした。
かなり以前の習慣ではあるが、イエズス会では 3年間の神学の勉強が終わる三月に、
かっては司祭叙階が行われていた。四旬節の最中であっても、聖ヨゼフの祝日は大々的に祝われる。

そこで司祭叙階式をその前日に行い、当日には聖ヨゼフの執り成しを祈りつつ、
初ミサを 各自が石神井の神学院の聖堂で、家族や友人を招いて大喜びで行なった。
ヨゼフは全教会の守護者であり、労働者の守護の聖人として崇められている。

しかし彼の生涯や働きについて各福音書は余り語らない。
彼は義なる人、ナザレ村の大工、夢で示される神の指示に沈黙して従うばかり。
彼はイエスの誕生に密に関わり、イエスの名付け親であり、エジプトに下り、
12歳のイエスの言行に立ち合った。残念ながら、彼の肉声・ナマの応答は皆無である。
こうして人々の空想は、彼を年寄りのヒゲ爺さんに変え、
前婚の連れ子を伴わせ、マリアとの結婚後は十数年で早死したという。
しかしいずれも、福音書の中に確実な根拠や裏付けを欠いた 後人の勝手な想像と思われる。

 私は暇にまかせて「カトリック教会情報ハンドブック」を調べてみたところ、
マリアの名を冠する修道会に比べて、ヨゼフの名を戴く修道会は余りにも少ないことに驚いた。
ほぼ30対1くらいなのか。
修道会の創立者たちは、マリアの生涯や働きの中に 信仰者として仰ぐべき理想を見出し、
マリアに肖る奉献生活を志した結果として名づけたのであろう。
しかし別の見方をすれば、キリスト者の教会で 十二分に黙々と額に汗する肉体労働、
下積みのまま沈黙のうちに続く 日常の平凡な庶民のナリワイが 尊ばれ重視されたのだろうか。
むしろ祈りや観想に専心し、また学識や学問が大いに尊重されたのではあるまいか。
キリスト教自体も奉献の在り方も、生涯を黙々と働かざるを得ない 無名の人々からは遊離し、
凡人の現実とは ほとんど無縁な生活になったのではあるまいか。

 かって私の父母は、7人の子供たちに囲まれていた。
確かに父さんびいきも母さんびいきもいたが、どれほど生身の父母を理解していたのか。
二人は若い時に大変な恋愛で結ばれたが、
母方の両親は決して結婚を認めず 義絶状態が長く続いたと聞いている。
そういえば父が母方の家を訪れ、一緒に食卓を囲むことは一度も無かったようだ、
祖父母はいつも 私たち孫を大歓迎していたが。
かってはアツアツの仲だったが、父母はよく夫婦喧嘩をしていた。
そんなに仲が悪いのならば、早く別れた方が幸せではと子供たちは思ったが、
父の死後に母がどれほどうち萎れ、父を頼りに生きていたかを見るにつけ、
子供には決して立ち入れない 夫婦の縁や不可思議さを思い知った。
口数の少ない父親の孤独や悲哀を、実の子供たりとも 十分に汲み取ることはできなかったのでは。

私は神の派遣に応えて種々の聖務を各地でこなしてきたが、司祭は本質的に流れ者であり、
自分の城に好きなだけ留まり続ける永住者ではない。
今までの年月、私の司祭生活の模範と理想を、聖ヨゼフの沈黙と労働に仰ぎつつ、早くも51年が過ぎた。
随分と山谷やデコボコに富んだ道行きを思いめぐらしながら、教皇フランシスと共に祈っている。

父親である聖ヨゼフよ、私の日々の歩みを導いてください、
慈しみと勇気が与えられ 全ての悪から守られますように。

中村健三 合掌




六甲春秋 23  手の無い十字架
 
 5月は、教会の暦によれば何かと忙しい月です。四旬節が過ぎ、荘厳な聖週間が終わり、
40日にわたる主イエスの復活を祝い、昇天と聖霊降臨、さらに三位一体の神秘を祝う主日を経て、
やっと通常の年間週がはじまります。
はるか昔のイエズス会の修練院の用語では、オルド ソリトスという普段通りの生活に戻ります。
さて私の部屋の窓から屋外の景色を眺めると、サクラも藤の花も遠く過ぎ去り、今はサツキが出番です。
ちいちゃなイチョウの若葉が背伸びし、一面のミドリの世界を見下ろしています。

しかし樹木ごとに緑の色調は異なり、また常緑樹の葉っぱも見事に入れ替わり、
どこも新緑や若枝で包まれて 見通しが悪くなったように思います。

普段の平凡な日々を迎えるにあたり、私たちが心に期するものとして一つの実話を書いてみましょう。
第二次世界大戦の時、ドイツの或る村は連合軍の激しい爆撃を受け、
村の中心にあった中世の教会も大きな被害にあいました。
戦争が終わって、村人達は教会を元のカタチに復元しようと汗水を流して働き、
細心の注意を払って 爆弾で飛び散り破壊されたものを集め、つなぎ合わせ、
根気よく由緒ある教会を元通りに 復元しようと頑張りました。

こうして教会の屋根、外壁、入口のファサード、内陣と修復の仕事は順調に進みました。
きっとドイツ人の気質・頑固さや綿密さが 大いに発揮されたのでしょう。
周りに四散した祭壇や聖櫃も聖人像も 何とかつなぎ合わせて原型を回復した後に、
祭壇正面の背後の壁に掛かる 大きな十字架を修繕すべく、
あらゆる努力を傾けたのですが 行き詰まりに陥りました。
何と十字架の横木に釘付けられたイエスの腕そのもの、右手も左手も見つからないのです、
どんなに何処を何回探しても。きっと爆風で粉みじんに、飛び散ってしまったのでしょうか。
十字架の縦木にはイエスの身体像そのもの、茨の冠をかぶった頭部が残り、
イエスの右手も左手も欠けた横木だけ、何とも奇妙な無残な十字架です。

この十字架をどうするのか、祭壇の背後に以前のまま掲げるのか、
それとも新しい十字架像を買って取り替えるのか、教会の信者たちは大いに困惑し議論を繰り返しました。しかし最後に主任司祭は、よく祈りよく考えた末に決定を下しました。
イエスの右手と左手の部分・横木に一文を書き記したのです。
「私はあなたがたの手以外に、自らの手を持たない。
Ich habe  kaine andere  hande euser  eure 」と。
そしてこの手の無い十字架は 全世界に有名になり、考えこませる十字架になりました。

皆さんはどのように受け止めますか。確かにイエズスは全き神として、全能の力を持っている方です。
しかし人々を助け救うために、イエスは伸ばしていた手を引込めても、
彼の手と成り代わって働く 私たちの手を待っておられるのでは。
イエスの十字架の前に 私たちが懐手をしたままで、
イエスに代わって手を伸べないでは申し訳けないのでは、汚い手であっても、損をしても、イヤイヤでも。不思議なめぐり合わせによって、私たちの家族や友人 また地域や仕事や生活があります。

そのご縁によって、他ならない私だけ・あなただけ出来る事、差し伸べる手が必要になるのでは。
イエスの手となり腕となって、傷ついても疲れても、喜んで勇ましくこの手を伸べ、
大いに働きたいものです。