中村神父メール   21/01/05


新しい年、謹んでお祝をもうしあげます。

何が起こるか、予期も予想もつかない 未知の人生、
誰もたいした自信も自負も持ちえず、身丈に応じて
苦しみ喜び、泣き笑いしながら 歩みゆくばかり。
コロナ禍の中ですが、勇気をもって進みましょう。





六甲春秋19  年の初めを祝う

 お正月の祝いが、余りに簡単になったのではないか。
家族が総出で 大掃除に精を出し、門松を立てたり 入口にシメナワを飾ったりした。
また皆でにぎやかに餅をついたこともあり、水とりの手さばきと力自慢の杵さばき、
両者の掛け合いの妙に驚きいり、また子供たちが 大人に手を添えられながら重い杵をふるい、
また搗きたての餅を頬ばるなど、ここそこに笑いが渦巻いた。
 
 また御せち料理の多くは 当然ながら手作りで、
戦後の貧しさの中では イセエビやハムや鯛は無く、
塗りの重箱には クワエや黒豆やこんにゃく・里芋・人参の煮しめやゴマメがひしめいていた。

 私の務めは、ゴマメを焙烙(ほうろく)でゆっくり交ぜ返しながら炒ることだった。
さて年が明けて元旦には、座敷に銘々のお膳を二列に並べて年齢順に整え、
父の祝いの言葉に和して皆で新年を祝って お雑煮や料理に武者ぶりついたものだ。
そのお膳もお椀もウルシ塗りで、男と女とでは色も形も異なり、正月の三賀日に限って使われた。
おそらく 父や母の老舗商家の習慣が、持ち込まれたのだろう。
あれからもう半世紀以上がたったが、それぞれ一家を成した私の兄弟姉妹は 自分の子供たちに、
さてどんな正月の習慣・祝い方を伝えているのだろう。

 今はすべてが便利になった。
家族がそろって、家の仕事に幾日も費やす暇や心の余裕は無いのでは。
年初のきわ立て、年頭の始まりそのものを 新たな門出として祝い、
デゾメの決心を新たにするといった習慣・感覚そのものが、すっかり薄れてしまった。
時の平凡な流れを勝手に区切って、今は忙しい大晦日、今はめでたいお正月といって、
ほんの数時間の経過を 大切に意識し祝う意味そのものが、不自然に感じられるのだろうか。
良いか悪いかは別に、現代の都市や町の生活に 四季それぞれの風物・行事・祝いは無いに等しい。
電化製品のおかげか、どこの家でも冷蔵庫やエアコンが在り、
薪を燃やす風呂焚きもタライや木の板を使う洗濯も、チリはたきと箒を使う掃除からも
解放されて久しい。

 この間、八幡神社を通っていると サラエや竹箒ではなく、
何と電気による小さな送風機で 落ち葉を吹き集めていた。
季節に左右され無い便利で快適な生活そのもの、また個人主義の浸透が、
事の初めの祝い事や 暦による節目への注視を 一掃してしまったのだろうか。

 懐かしい思い出の数々は 再び還るスベも無い過去の昔話であるが、
人生に必ず訪れる新たな時、転機の時をどのように画するのか、どのように期するのか、
真剣に問い質しても よいのではないか。

 2021年の初めにあたって、一年の計をどのように思い巡らすのか。
キリスト者として 世間とどのように関り、不可思議なご縁に結ばれた人間関係を、
どのように保ち深めていくのか、ジックリと考え祈ることが重要であろう。
 
 ここで 個人的な初夢や進路を想い描くとすれば、
さてこの私は4月からどこで何をするのだろう。ここに留まるのか、どこかに転進するのか。
イエズス会管区長の決定・任命に関わる事であるが、
私の決断も 多少なりとも与っている。何処で何をするにせよ、

この老いた身体をひっさげ、
この性癖とボケ加減と独特の持味を 一緒くたに持参する他はあるまい。

「あなたがお呼びになりました、どうぞお話ください。私はここに居ります。」

中村健三  合掌  





教会報 12 より copy