谷 口 神 父 メ ー ル   20/02/22


写真 2枚添付





宗正孝神父 見舞い

 安嶋兄
おととい中村健三神父から電話があって、
今日2月21日午後3時半ごろ宗正孝神父を見舞いに行ってきました。
東京都大田区の京浜病院は、小さな5階建ての病院だった。
職員は愛想が悪く 事務的にあしらわれてしまった。

4階の4人部屋で、寝たきりの半ば植物人間みたいな患者さんたち。
隣の部屋には絶え間なく叫び続ける患者さんも・・・

マスクをかけさせられて、言われた病室に入って枕元のネームで宗君と分かったが、
変わり果てた姿だった。
これが、同級生の中でも 目立ったあの俊秀の宗君かと感慨深かった。

何度もやや大きな声で声をかけても 目覚めなかった。
肩のあたりに触れて、ゆすりながら名前を呼んだら、ようやく左目を薄く開けた。
私が谷口で、中村健三神父から電話を貰って、取るものもとりあえず見舞いに来たと
言ったら、こちらの話すことは理解しているみたいだった。

人工透析は月、水、金と聞いたが、今日のはもう終わったのか?と聞くと、
声が出て、まだこれから、と言った。
どれぐらいかかるの、3−4時間?と聞くと、はっきりした声で4時間と答えた。

ご聖体(ミサの時に聖別した薄い白いパン)を持ってきたが、戴くか?と聞いたら
うなづいて口を開けた。 短いお祈りをしてその口に入れると受け取ってくれた。
口には入ったが、端が唇の間からかすかに見えた。
水が要るか?と聞いたが 首を横に振った。
もぐもぐとしているが、融けて入って行かないように見受けられた。

暫く他愛のないことを話しながら時間を過ごしたが、やがてお食事ですよーと
若い女性の看護師が入ってきた。
細いチューブを鼻からぐいぐい入れて 強制的に痰を吸引する時、
宗君が実に苦し気な顔をしたので、目を背けたくなった。
胃ろうで栄養を取っている。それでも、生きたいのだと思った。

次々と見舞う人がいるのだろうか?
めったに誰も来ない見捨てられた状態にあるのだろうか。
分からない!とにかく、また来ようと思った。

病院に来て、最初に受付でマスクをわたされたが、
顎までおろして顔が見えるようにして接した。
自分はコロナヴィールスのキャリアーではないと思っているので、
濃厚接触と言われるかもしれないが、身近にずっといた。
苦痛少なく、うとうととして、何も考えずに時が静かに流れてくれることを願った。
死ぬまで続く十字架が 担いやすいものであることを祈った。

写真を2枚添付する。一枚は病院の入り口。もう一枚は病床の宗君。

谷口幸紀拝