中村神父メール   20/08/25


戦争の思い出。
コロナ禍の日々、いかがお過ごしですか。

私はこのあいだの一週間、広島の長束修道院に泊まって
あちこちに出かけ、多くの人々と久しぶりに会い、
よもやま話を楽しんできました。

マスクや自粛ムードに 敵対しています。
そろそろ終活、今ここ我を大切に。





六甲春秋 15 月日は百代の過客

8月に入って、急に過去の体験や見聞が 新聞やテレビの報道で 数多く声高に報道された。
戦後75年という大きな節目に当たるからであり、生き証人たちが老齢化によって、
舞台から去っていく状況も踏まえてのことと思われる。

その多くは 悲惨な惨禍に突然に巻き込まれた方々の語りかけである。
私も戦争を実地に体験した者として、いかにも年寄りじみてはいるが
当時5〜7歳の子供に焼き付いた記憶を探ってみようと思う。

グラマンが何を狙うのか、時にけたたましい音をたてて急降下し機銃掃射を浴びせかけていた。
神戸と大阪との間に位置する御影という住宅地ではあったが、たびたび空襲警報に悩まされた。
遠いと美しい花火のように見えるが、近くになるとザーとものすごい雨降りの音を伴って
B29は焼夷弾をばら撒き、あたり一帯はたちまち灼熱地獄となった。

ある時には 隣家の防空壕で4人の大人が焼死し、
田舎に疎開していた幼い兄妹がたちまち孤児となった。
同じ日であったか、実家からほんの100メートルも離れていない防空壕も 直撃弾を受けたが、
中にいた祖母と妹と私は 爆風で外にほり出され奇跡的に助かった。
妹のマツゲが焦げ、アルミの弁当箱が大きくゆがみ、
直径が20センチほどの大穴が 壕の天井に開いていたが。
大本営の発表は いつも日本軍の華々しい戦果を称えていたが、戦況は日増しに悪化し
巷にはあやふやなデマが飛び交っていた。

広島や長崎に原爆が投下されて甚大な被害を被ってから数日後、
なぜか母親は全身黒ずくめの長兄の姿を見ながら、これなら特殊爆弾も大丈夫だと安心していた。また隣組からなる警防団では真剣に、バケツリレーによる防火訓練が行われていた。

終戦の日の記憶はなぜか無いが、深刻な食糧難の日々が訪れた。
老いた姑といつも腹を空かせた7人の子供たちを、何とか食べさせるために母は大いに奮闘した。田舎への買い出しはもとより、物々交換で着物類を米穀に代えるなどいつも大忙しだった。

大阪の駅周辺にも 大勢の戦争孤児が群がり、靴磨きがズラリと並んでいた。
配給制度に違反するからなのか 不法な買い出しが時に摘発され、
没収された米が 山のように駅のプラットホームに積み上げられていた。

また何処から運んできたのか トラックの荷台にスイカを満載し、
若い衆らが包丁で十六等分して売っていた。
人々は食べ終わった皮を 大きなドラム缶に投げ込んでいたが、
その僅かな残りカスを 乞食たちが争うように武者ぶりついていた。

電車や汽車に乗ると、ほとんど決まって 白衣の傷痍軍人が乗りこみ、
「ここは御国を何百里」とアコーディオンで演奏し 寄付を求めていたが、
乗り合わせた人々の眼は 意外に冷たかった。

或る日のこと5歳上の長兄が 立派なサツマイモを見つけて持ち帰り、
弟妹たちも喜び勇んで料理しようと 空しく努力した、
しかしどうしても食べられない。その理由は 若い苗を育てた後の種芋は、
見てくれはどうであれ マズクて決して喰えないのだ。

父の知人が夕食の時に訪れて食事を摂ったが、お代わりする客人と母とが飯櫃を
互いに引っ張り合っていたのを思い出す。彼女はどうしても、家族の分を確保したかったのだ。

甘いものが 極度に不足していたからか、
子供たちは 何とズルチン・人工甘味料を口許に塗り付けて舐めるほどであった。
だからなのか 極々まれに甘い大きなスイカを戴くと、
それを包丁で等分に切り分ける母の手元を、多くの鋭い眼玉が追いかけ
大きいか小さいか 必死に見定めようとする。
あの真剣な眼差しは、今はもうどこにも見られない。
私が御影の付属住吉小に入学して間もなくの雨の日、
どんなに探しても柄が赤色の雨傘しか残らず、小さな手で包み隠して登校したが
ワルガキどもに さんざん囃し立てられた。
また何の費用かもう忘れたが、うばら会費が毎月クラスごとに徴収され、
「忘れました」と担任の先生に言うのが 実につらかった。

このような数多くの貧しさや肩身の狭さの体験こそ、
今の私の生き方や考え方や歩み方を創りあげている。
戦争のドサクサ・悲喜こもごもの体験こそ、私という人間の有り難い原点であり、
私の貴重な源泉であろう。

わが魂よ、主をほめよ。我が内なるすべてのものよ、その聖なるみ名をほめ歌え。
我が魂よ、主をほめよ。その全ての恵みを心にとめよ。主はあわれみに富み、恵み深く、
怒るに遅く、慈しみ豊かでいらせられる(詩篇103より)。

中村健三  合掌