中村神父メール   20/05/09


繰り言めいたエッセイ

四月になって、インターネットが突然に切れてしまい、おお困りしました。
信徒の方で専門家に一任して 修理していただきました。

gメールにかえ、アドレスも変わりました。従来の文章はすべてUSBに取り込まれたために、
貴兄への送信がえらく遅れました。よろしければどうぞ宜しくお願い致します。





六甲春秋 第11回  緊急事態下に御復活を祝う

 桜は見事に満開したこの4月の初め、緊急事態宣言が発表され、
キリスト者も教会も 全く前例のない体験をしている。
無人の聖堂には ただ沈黙が支配し、木製の大きな十字架が独り立つばかり。

私はつくづく「地球が巡りゆく限り、いつも十字架が立っている」という言葉を実感した。
陽気に誘われてなのか、二年間を過ごした前任地・三篠教会の聖堂前の桜や、
天満川沿いを懐かしく思い巡らした。

年々歳々花同じ、歳々年々人おなじからずと、いわれる。
来年の桜花を 何処でどんな心で、私が眺めているのか全く知らない。
しかし 全てを神のみ旨に、お任せしようではないか。

全世界は目下、花見どころか 新コロナヴィールスの脅威に襲われ、
日々の感染者と死者の増大に怯えおののくばかり。
企業活動は制限され、物流は滞り、デパートや飲食店には閑古鳥が鳴き、
商店は顧客がないまま休業し、すべての教育機関は 大学も含めて休学し
立ち入りさえ禁止されている。
損失の大きさ、災禍の重さは測りしれない。

この異常事態がいつまで続くのか、どうすれば良いのか、何ができるのか、
先行きは一切不明のままただ恐れるばかり。
しかしながら、神か仏を信じている人は、同じ不安と心配と恐怖の中でも、
何か・何処かで違っているのではあるまいか。

しかしながら 今や新たに気づくのは、愚痴と不平をこぼし苦労もあった
何でもないアタリマエの日常生活が光り輝いてくる。

嫌な疲れ仕事や務め、試験や授業に追われ 縛られた学校生活、
単調なくたびれ儲けのアルバイト、いやいや参加していた教会の典礼や集まり、
煩わしい人間関係や 雑多な騒がしい人々の参集などなど。
今から見ると どれほど贅沢な悩み苦しみ、どれほど有り難いものだったのか。

ありきたりで平凡な明け暮れの中にこそ、神の恵みの導きと支えが大きく働いていたのだ。
月並みな生活こそが本物なのだ。
人との関わりにモマレ傷つきながらも、喜怒哀楽を互いに分かち合い、
角を付き合わせて生きる私たち。

その意味では2mの離れた対話も、ツバやくしゃみの届かない議論も在り得ない。
未知なる者・物・処との出会いを求めて旅行し、顔も身体も寄せ合って
親しい人は 食事し喜んで酒を酌み交わす。

この痛ましい災禍の中にも、神の救いの御業は 何の遅れも滞りもなく行われているのでは。
この世界大の混迷の中にも 神の聖なるメッセージが託されているのでは。

来る日も来る日も病魔と身を挺して戦う人々、重症者にも親身に寄り添う
無数・無名の医者や看護師たち、また患者を最期まで看取り励まし、
自らも感染して犠牲になる親族やイタリアの神父たち。

我独り、ただ恐れて逃げ隠れるだけでは足らない。
今ここで、私と為る回心の恵みを 大いに祈り求めよう。
この未曾有の閉塞状況の中で、私に出来ることは無いのか。
主よ、どうぞ私をお使いください。
喜び勇んで、主なる神の聖なる御旨を行うことが出来ますように。