中村神父メール   20/02/23


手違いで 未掲載だったのを載せます





六甲春秋7 年の初めに
    
  謹んで、クリスマスと新年のご挨拶を申し上げます。
倉庫から引っ張り出しホコリを払い落して 飾り付けた飼い葉桶を前に、
静かに過ぎ去った年月を振り返り、またこの未知な新しい一年をいかに迎えるのか、
ジックリ想いをめぐらそう。

まずは、既に過去となった悲喜こもごもの出来事を感謝のうち思い出し、
また先行きは不明で全く見通しは立たないままに、泣いたり笑ったりしながらも
すべてを神の御手から戴き、新年に起こる一切を委ねる覚悟を固めたいものだ。

今年はどんな年になるのかという問いと、どんな年にしたいのかと問いとは、
かなり違いがある。
だからこそ一年の計は元旦にありと、あれこれ思いめぐらし新たな計画を立てよう。
たとえ夢が破れ志とは異なる現実となっても、元のモクアミの悲哀に終わっても構わない。

敢えて新たな一歩を踏み出そうではないか。
何かやりたい事がないか、何処か行きたい所がないか、何か新たに学びたいことは?。
私は23日に奈良をさまよい歩いたが、帰りの電車でふと目あげてみると、
年配の方が「三味線の弾き方」という本を熱心に読んでいたっけ。

 新聞にテレビに、今年の十大ニュースが報じられている。政治・外交・経済・文化などの
各分野で、重大な影響をもたらす事柄が提起されている。
日韓の疎遠、天皇の譲位、令和への改元、トランプ大統領の政策、
ローマ教皇の訪日などなど。

しかし大きな出来事とは別に、私が直接に関わるごく個人的な一身上の出来事も
当然あるにちがいない。
日本では25日のクリスマスが終わると すぐさまツリーを片付け、
年越しの準備・大掃除・門松の飾りつけ・年賀状書きなどで大忙しになる。

しかし何も慌てる必要がない。教会では1月16日に主イエスの洗礼を記念するが、
その日まで飼い葉桶を前に ご誕生の意味をゆっくり念入りに掘り下げようではないか。
私たちが心新たに 再出発を図ろうとすることは イエスと何か関わりがあるのか。
貧しさの極み、無力と無防備のままに 神の御子イエスは泣き声をあげ、
マリアの乳房にすがり付き、貧しい産着につつまれて憩う。

私たちはといえば、ちっぽけな権力や実績を振りかざし、金に依り頼み、
衣食住に満ちたりて 人前の評判や評価に囚われている。
私たちの現実と、イエスは何と遠く隔たることか。

アッシジのフランシスコは、
イエスの貧しい誕生を思い起こしながら 飼い葉桶を作ったといわれている。
だからフランシスコ教皇は 各家庭で毎年、イエスの飼い葉桶を飾るように勧める。
それは神の途方もない愛の大きさを想い返し、
イエスス誕生の神秘を 年毎に黙想するようにとの促しである。

また私たちの生活や思い煩いが、イエスの福音とかけ離れているかに気づき、
また貧しく虐げられている人々への 連帯と共感を奮い起こすからである。
時は満ちた、神の国は近づいた。悔改めて幅音を信じなさい。  

中村健三 合掌