中村神父メール   20/02/19


2月13日に 宗神父を見舞おうと勇躍でかけましたが、
京急の梅屋敷から 一時間余りとにかく歩き回りましたが、
とうとう病院を発見できずに終わりました。
そぞろ老いの悲哀を感じました。

次の約束が 明大前駅で4時半だったため、
涙を飲みました、約束の時間にも大きく遅れましたが。
とにかく、お上りさんの記を送りましょう。





六甲春秋9 春を待つ日々

 2月の10日から15日まで 久しぶりに東京に行き、お上りさんの気分を味わった。
30年間も住み慣れていた土地ではあるが、まごついたり無駄足を踏んだりの連続だった。

上智大の構内にあるSJハウスに宿り、多くの会員と直接に会うことができた。
共に生老病死のサダメを負う生身の人として、時に目を背ける事柄、目を丸くする驚き、
参りましたという敬服、正視に耐えない苦しみなど・・・
随分と刺激的な日々を お蔭で過ごすことができた。

そういえばトゲトゲシイ顔には出会わなかったが、よそよそしい顔は少しあったかもしれない。
多くは満面の笑みで再会を喜び合ったが、それにつけても、あの時あの人に対する
自分のシブイ応対をも思い出し、ホロ苦さも感じられた。

とにかく年齢を重ねるという事は並大抵ではない。
人生の途上に何が起きるか分かりようもなく、災難や病気はいきなり襲いかかり、
その多くは防ぐすべも避けることもかなわない。
「俺様に限っては」という自信や自慢、他の人を見下し裁く特権を誰も持ちあわせていない。
数多くの風雪に耐えながらも、持ち場に懸命に生き働き祈り耐えている人々が大勢いることに、
私自身が遅ればせながら気づかされた。

直接に話し合えた人は 必ずしもイエズス会の司祭ばかりではなかったが、
彼らとの親しい出会いを通じて、今や我が身を真剣に顧みる必要に迫られている。
共に老いや病を抱え 多くのママナラナサを担いながらも、仲間として兄弟姉妹として
連帯感と親近感を各自の持ち場で深めていきたい。

現実的に考えてみれば、今は管区長から直接に任命を受けた六甲教会こそ私の居場所であり、
生き働き祈る現場そのものである。別の教会や教区で働く夢や幻に迷わされてはならない。
この結論こそは、貴重な回心の体験というべきなのか、
今回の旅で戴いた大きな恵みの確信である。

ここで私に出来ることは何かないか、必要とされている働きはないのか、
周りの状況を見定め 皆さんの意見もよく聞きながら選定していきたい。
どうぞ遠慮なく具体的な提案をお願いしたい。

今回の東京訪問を終えて、いま自分としてやれそうなことが一つ二つ思い浮かぶ。
その一つはプロテスタントの仲間との関係である。
神戸に行けば専門的な聖書講座が開かれており、超教派で行う定期的な祈りの集いもある。
将来的には聖書を中心に据えて、所属教会という枠や相違を越えた相共にキリスト者として、
研究や祈りの分かち合いの場が 開かれる可能性もありそうだ。

さらに夢をふくらませれば、何とかして若い人々がイエズスと出会えるように
道を整え拡げ、少しでも関わりを深めるアガキをしてみたい。
道にも町にも若者があふれ、外国から来た学生や技術研修生が 必死で苦しく生きている。

「主よ、あなたがお呼びになりました。私はここに居ります、
 どうぞお話しください、僕は聞いております。」    

中村健三   合掌