中村神父メール   20/01/24


お元気ですか。温暖な冬、有難いことです、サブガリには。
2月の小文を送らせていただきます。
どうぞ、お達者で。中村健三 合掌





六甲春秋8 温暖な冬に想う

 去る1月20日に大寒を迎えた。各スキー場は頭を抱えているという。
例年に比べて降雪が極端に少なく、雪不足に悩まされている。
阪神地方でも温暖な日々が続き、寒がりの私には願ってもない。
しかしながら冬は必ず寒く、厳しくなければならない。

自分が体験した温度の下限はマイナス10度、ハンブルグの港近く、
タグボートによって大きな船が河(運河?)一杯に旋回させられていた時だっけ。
寒さ対策には衣類こそが大切と考えるが、もっとも重要なものはむしろ履物・靴だと知った。
凍てついた地面から這い上がる寒さをいかに防ぐのか、
しっかりした本革の靴こそ他に代えがたい。

 1月17日に、阪神淡路大震災の25周年を厳粛に記念した。
当時は上智で教鞭を取っていたが、三日後にたまりかねて 御影の実家に駆けつけた。
大阪までは何の問題もなかったが、西宮からは全てが断絶しているため
阪急の線路に沿って歩いた。

戦争の破壊とは全く異なり地震の被害は甚大で、
今まで見たこともない倒壊や焼失の光景に胸がつぶれた。
瓦礫の山また山、煙のいがらっぽい臭いがまだ立ち込める場所、
大きく道路側に傾く建物、三階部分が押しつぶされたビルなど、
地震の巨大さと人間の営みの脆さとを 痛く感じさせられた。

言葉としては「万全を期す」などと安易に言ったり聞いたりするが、
人間の増長慢・身の程知らずな思い上がりの語かもしれない。
自然のとてつもない不可測の力を前に、
前準備も予行演習も事前のマニアルも まるで通用しないかのようだ。
あらゆる人力・人知による対策の前にも後にも、
「自然・神仏への畏怖」の念を決して忘れてはならない。

 この未曾有の災害を思い起こすにつけ、
自分に一番ショッキングなのは25年という過ぎ去った時の重みである。
たしかにこの大災害で自分の家族や親類で生命を落とした人はいなかったが、
以後の歳月で母と二人の妹や三人の親族を喪った。

また私事ではあるが25年間のほぼ全ては、
各地の教会の現場で司牧や宣教の任務に費やされた。夢かウツツのうちに過ぎ去った月日、
多くの御好意の方々と各地で繰り広げられた
出会いと関わりと別れの数々、今も心に行き来する ほのかな遠く隔たった思い出のあれこれ。

25年間という時の堆積にもかかわらず、その実質の儚さ軽さ淡さに慌てふためいている。
その原因はおそらく、あと何年とも知れない残りの日々への頼み難さや分からなさも
大いに影響しているにちがいない。

イエスの誕生の結びに、ザカリヤはイエスを両腕に抱きながら
「主よ、今こそ私を安らかに去らせてくださいます。
私のこの眼が主の救いを見た」からですと祈った。

キリスト者たちは一日の終わりに同じ言葉を繰り返し、教会の祈りの終課としている。
私たちは月並みな毎日の送り迎えの中に、その平凡さに溺れながらも
神が与えてくださる時の恵みを 心から感謝して引き受けようではないか。

「主よ、私の時は御手の中にあります」と。