中村神父メール   19/10/30


急に寒くなって驚いています。 お元気ですか。
11月の直前、時の過ぎ行く速さに驚きながら。
ご参考までに、とにかく送らせて頂きます。
どうぞ、お達者で。





 六甲春秋5  秋深し(?)

めっきり涼しくなった。夜は少し寒いほどで、シーツやタオルケットでは足らず、
今や毛布や布団を引っ張りだす必要に迫られている。
日本の四季の移り変わりに、ただ感謝するばかり。部屋の片隅で扇風機が暇を持て余し、
永いお蔵入りを待っている、ほんの数日前までは 大忙しで酷使されていたのに。

 四月の下旬以来こまめに、各教会で行われる音楽会を聞きに行った。
かって益田教会に丸5年いた。
近くの臨済宗のお寺の本堂(住職さんは、市内の私立幼稚園連合の会長)で
開催されたコンサートで、グノーのアヴェ・マリアを印象深く聞いた。

その折にチェンバロに書かれたラテン語の言葉を思い出す、
「音楽は悲しむ魂の薬、万人の心の喜び」。まさにその通りだと思う。
音楽に耳を傾ける時に、或る交わり・連帯感が創りだされる。
作曲家と演奏家と聴衆とを結び合わせる不可思議な一体感が、醸し出されるといえば良いのか。

この五か月の余暇にまかせて、神港教会を皮切りに聖愛、芦屋、神戸中央を訪れ、
またこの六甲教会でも 既に二回「祈りと音楽の集い」に参加した。
それぞれ事情は大きく異なるが、一つだけ確実に言えることがある。
暑さや多忙も厭わず足を運ぶ聞き手は、決してキリスト者に限定されず、
かなり多くの教会外の方々が 集まり喜んで耳を傾けている事実だ。

ちなみに少し話が飛躍するが、私が自ら滞在し自分で見聞した外国の町や地域でも、
これほど多くの「カラオケ」の店が営業し、人々がほとんど日常的に利用して、
生きる力・耐えて頑張る力を現に汲み取っている 不思議な国民は他に無い。

残念ながら お寺さんも神主さんも牧師さん神父さんも、まさに顔色なしといえそうだ、
人々はこのセチガライ人生を乗り切り頑張る力を「カラオケ」から、
しっかり汲み取っているからである。

またあるチラシをみて驚いたのは、
五つか六つの一般のコーラス・グループの合同演奏会の案内だったが、
何と半数が グレゴリアンの曲目を加えていた。

しかし キリスト教界において50年前ならばいざ知らず、グレゴリアンの調べで典礼を行い、
その霊性を生きている修道院も教会も、残念ながら全世界的にみてもごくごく少なく、
まさに絶滅に瀕しているといっても過言ではない。

無伴奏でモノフォニーによる強弱・高低・緩急から あふれ出る輝きも力強さも奥深さも、
キリスト教界では受け継いでいく伝統も意欲も 最早ないに等しい。
しかしながら、これほど音楽好きの国におけるキリスト教の典礼の現状は、
いったいどうであろう。

教外者の愛好や関心に応え、
参加する全ての人々の秘かな心の願いを 満たし代弁しているのか。
音楽的な巧拙や優劣を問題にしているのではない、
むしろキリスト者のヒタムキさ真剣度である。
懸命に声も力も合わせて人々の代表として、主なる神に切に祈り賛美し
感謝の心があふれているのか。
喜びの音信が現に宣教されているのか。

歌である主を、共に称えよう。