中村神父メール   19/07/27


< 8月の便り >





 六甲春秋:平和を祈ろう

 暑苦しい夜が続く。何処を触っても温かく感じられる。
どうすれば少しでも凌ぎ易くなるのか、あれこれ試している。
エアコンのスイッチを入れ、設定の温度を下げるのはごく簡単な操作だ。
しかしこれは、工夫することには当たらない。

子供時代はどうであったか、たしか濡れタオルを額に巻き、
脚を水のバケツに漬けて宿題をしていたっけ。
セミ取りに夢中で、汗をかくことに無頓着だったのか。
夜は窓を開けっぱなしにして、蚊帳に入って裸で寝ていた。
かなり原始的で滑稽でもあるが、どこの家でも似たような光景だったのでは。

 広島司教区に長かったためか、平和旬間の行事に忙しかった。
6日早朝の慰霊祭には各宗各派の宗教者が集い、厳粛な祈願が捧げられた。
長束の修練時代も今日でも、
荘重にグレゴリアンで「永遠の安息を彼らに与え、絶えざる光を照らし給え」と祈り求めた。

最近の世界情勢を考えると何だかキナ臭いツバ競り合いが続き、
狂気の戦争が始まりかねない危なかっしさである。
キリスト者ならではの使命や役割に目覚め、大いに祈り働き努めたいものだ。

キリストの平和・パックス クリスティは、
ローマの平和やアメリカの平和とは全く異なるもの、
一切の威嚇や脅迫、武器や権力をふりかざし 力ずくで確保される強制や無理強いではない。
ひとえに神からの恵みとして与えられ支えられる平和、まさに神の賜物である。

その意味では憲法改定に、原子力発電に、沖縄の基地化に、
安倍保守政権に絶対反対を叫ぶことだけでは足りない。
人間存在の根幹であり源泉である 神の招きに応えて、我も彼もひたすら回心する必要がある。
人を憎む心、人を蔑む心、人を拒・絶する心を退け、
キリストの平和を少しでも実現するために、骨身を惜しまず力を合わせて働こうではないか。

 世界の或る地域では 今も戦争が絶えず、殺し合いに明け暮れている。
私の幼な心に焼き付けられた、破壊と殺戮に怯えて逃げ回った日々を思い出す。
空襲警報が発令され、大急ぎで急造の防空壕に逃げ込む。
ザーッと豪雨のような音と共に、焼夷弾が辺りに降り注ぐ。
紙と木でできた日本家屋はひとたまりもない、あちこちで地獄絵図が繰り広げられた。
隣り組が常日頃、訓練してきたバケツリレーなどは まさに子供だましだった。
住んでいた御影は住宅地ではあったが、神戸と大阪の間に位置するのでかなりの被害を受けた。

また時にはグラマンが大気を切り裂いて急降下し、機銃掃射を浴びせかけた。
一家が離ればなれになる場合に備えて、各自が名札と非常食を携えていたが、
蓋つきの器に 炒り豆が少々と角砂糖一個が収まっていた。忘れられない思い出の一つである。

或る日には 家族が避難していた防空壕に焼夷弾が命中し、
火に包まれると同時に爆風で壕の外に吹き飛ばされた。
全員が奇跡的に助かったが、壕の天井部に穴が開き、アルミの弁当が大きくひしゃげ、
妹のまつ毛が焦げていたばかり、実に不思議な出来事であった。         

中村健三  合掌