吉井 メール  18/03/28

芥川と西郷どん





安嶋編集長

桜も満開だが、厳しい政治と外交が日本を取り巻く。

森友や家計問題など、どこの国でも日常茶飯事でやっている。
1年も掛けて国会で議論するのは、民主主義が劣化した証拠。

昭惠夫人の軽率さをメディアも評論家も云々する。
頼まれればどこでも行き、誰とでも交流する彼らこそ軽率さの実行者。

これこそ、我々 Japaneseの真の姿であり、
呼ばれれば、ホイホイとTV画面に登場する解説者や評論家である。

視聴者も画面を見て憤慨するが、彼らも昭惠夫人であることに、
全く気付いていない。

では、「芥川と西郷どん」を添付

吉井




芥川と西郷どん

芥川作品に接したのは、小学生向けの
リライト版「杜子春」で6年生の頃。
杜子春が、右片隅の柱にもたれかかり、
左前方を見つめる立ち姿のシルエットが印象的。

中学生になり、「きりしとほろ上人伝」、
「芋粥」「蜘蛛の糸」「地獄変」「開化の殺人」と読み、
さらに「杜子春」のオリジナル文章に接したときは、
あまりにも、内容がドロドロしており、
童話の世界から、「現生(げんなま)」の世界へ。

やがて、
今までの彼の作品を素直に受け入れて来た自分から、
素直に、作品を受け入れられない変化が芽生える。

その頃、久保田勝己君より薦められ、渡されたのが、
下村湖人の「次郎物語」。自伝である。
上・中・下巻を一度に渡され、読みだすと、
その内容に圧倒され、朝まで読みふけり、
おかげで、毎日、フラフラになりながら登校した。

下村に比べ、芥川のほとんどの作品は、
苦しみぬいた創作ではなく、
東西の古典をベースにしたり、
他の作家の手法と技法をベースにした加工作品であり、
今様の表現なら、芥川は在庫管理に優れた納入業者。

それ以後も、彼の諸作を読んだが、
芥川に興味は失せるが、関心は残り、
毎年の芥川賞の発表で文藝春秋をパラパラと。
やがて、芥川賞作品も劣化が進み、
なぜこんなのが受賞作品?

選者石原慎太郎さえ、この賞の劣化を嘆き、
名誉ある地位を辞退している。

後年、芥川龍之介全集(岩波、1996年)に納入の、
「西郷隆盛」の短文に出会ったとき、
芥川への幻滅が加速された。今回、再読してみた。

維新史の研究者「本間」から聞いたと芥川が語る。
本間は、維新研究で京都から帰途の車中、
西南戦争の真相に詳しいと称する老紳士に出会う。

結論を速めれば、紳士は、西郷は城山で死なず、
疑うなら、一つ前の一等室に乗っているので、
確かめに行けと言う。

本間は、行った、見た、彼は頭が混乱する。
当にイメージ通りの堂々たる容貌と風貌の巨漢。
当に、南洲先生!

老紳士が、オタオタする本間に、
「君が見たのは、友人で医者の、
南画も描く男」と種明かし。
全く、詰まらぬ短文作品である。
もっとも、彼なりに、
この作品に込めた様々な思いもあろうが。

今回の再読で気が付いたが、
丁度一週間ばかり前 とか、丁度三月の下旬

の表現があり、二つの「丁度」の間隔は数行。

「丁度」のような、場当たり的な単語を、
彼のような、文筆を生業をしている者が、
軽々に使用すべきではない。

彼は、芸術至上主義を唱え、
文章の一言一句の重みを説いてきた。
それが、彼の存在価値とリンクしていた。

例えば、作品「眼に見るやうな文章」で、
空が青い と 空が鋼鉄のように青い
の表現の優劣を述べ、後者の適格性に鋭く言及している。

しかし、彼の、これら「「丁度」の採用には、
彼が主張してきたことの重厚性のかけらもない。

作品「私の嫌ひな女」では、

要するに莫迦な女は嫌ひです。
莫迦と云ふ語の内容を詳しく説明する
時間と紙数とに乏しいのは、
遺憾ながら仕方がありません。

論理より感情を優先させ、
自己の立つ位置を見ずに、自分の思い込みで突っ走る。

彼の願う方向とは逆行しつある大正の流れ。
それに真っ向勝負をせずに、
小出しで世相を切ろうしたようだが、
結果は、ゴテただけのように思える。
本気でゴテるなら、集団の力を必要とするが、
彼は、仲間も同志もつくらず孤軍奮闘。

明治25年に生まれ、昭和2年に自らの命を絶つ。
35歳の早世で、龍之介とも竜之介とも。
類まれな才能を持ちながら、惜しい。

追記:
久保田君に「次郎物語」を返却すると、
「読め」と勧められたのが、数冊の
シャーロック・ホームズのシリーズの新潮社文庫。
バスカビル家の犬、恐怖の谷、緋色の研究、破風館、
赤ひげ同盟、まだらの紐等々。

朝まで読みふけり、フラフラの登校が続く。
若さと興味で乗り切れた。


芥川と西郷どん WORD 版