*第16回  東京15会* *10/14*


木下 例会報告転載


数日前より当日の天気予報は曇りのち雨。 幹事としては 気がもめるところだったが
秋の天気は変わりやすい。 よい方に変わって晴れ。 まずはめでたい。

今回は遠路関西から安嶋 丸中 両兄が来てくれた。 二人の顔が判らないほど久し
ぶりの者もおり やあ、やあ、やあ、の挨拶が飛び交う。

山本兄の巡礼旅の報告も 丸中をはじめ良い聞き手を得て熱が入る。 
シグロの赤ワインは なかなかに美味で 程よい酔いがこころを揺さぶり
記憶を蘇らせ楽しい2時間半となった。

(以下敬称略)


1.出席者
  大熊 加藤(幹) 鎌田 宗 高田 塚本 宮本 森寺 安本 山本(順) 余田 木下
  それに 関西から 丸中 安嶋     計14名

  欠席者の動静
  池田/土屋からは都合により欠席の連絡。 常連がいないのは寂しい。
  竹内 ご母堂看護のため 東京/神戸を行き来する生活。 今回は在神戸。
  石丸 長期海外出張から帰国するも再び短期出張にて欠席との秘書の方より連絡。
  菊地 8月に神戸へ転居(帰ったと言うべきか)
 
  日経新聞が首都圏 近畿圏の住民に調査した「定年後 住みたい町」 ランキングは
  一位が神戸市。 震災と言う悲劇はあったが確かに神戸は住みたい良い街だ。
  
  島村 欠席の返信(葉書) 様子はよくわからぬが静かに暮らしている模様だ。
  鈴木(元) 膝のリハビリが 今ひとつで欠席。 
   東京15会の幹事、常連だった彼、早く元気になって出てきて欲しい。
  堂野前 米国の友人を訪ね旅行中との返事あり。
  藤井 国際経営者協会主催の塾が 10月14日から開講。講師を務めるため本会欠席。
  若林 身体を労わりつつ 音楽と読書の静かな生活。最近は不整脈にも悩まされている由

  この夏 豊田市在住の吉井より久々に 電話ありメールなどの交信を開始。昨年6月に退職し
  現在は推薦されて市の水道事業審議会の委員をしている由。
  (4年前に 政改革の論文がパスし 市の行政経営委員会の委員を3年勤めその縁で。) 
  そのうち神戸または東京の15会に顔をだしてくれると思う。


2.今回も山本(ソフイアンズクラブ会員)には随分援けて貰った。
  小生が17:15ごろ会場に着くと もう待機していて スタッフの方とも打ち合わせを済ませ
  サンチアゴの旅の地図や写真を用意して準備万端。

  「丸中がもう来たらしいよ。入り口の記帳簿に署名がある」 
  確かに丸中正量と書いてある。
  (あとで判ったことだがこのとき宗のところに行っていたらしい。)

  コーヒーを飲みながら四方山話をしていると 早々と塚本が登場。 昔の頑丈で筋肉パンパンの
  彼から見ると やや痛々しく見えるが 本人はなかなかに元気。 禁酒 節食 減塩は厳しいが
  庭いじりや 自宅2階のペンキ塗りまでやっているらしい。

  ついで大熊が現われる。 リュックサックを背負い日焼けして元気な顔。首都圏に
  「ボケ防止33ヶ所巡り」と言うのがあるらしいが そのうち川口方面に行ってきたとの事。
  もう何箇所も地図にしるしがつけてあった。 彼は今自宅を改築中で仮住まい、
  出来上がるのは 来年2月何やら落ち着かない日々との事。

  やがて加藤ほか続々と現われ 安嶋 丸中も登場 
  定刻には森寺以外 全員揃う。
  (森寺はどうした、カメラマンがいないのはまずいぞ、、、。
  安嶋も森寺は来て写真を 撮ってくれるんやろなと心配顔。)


ー続くー  (木下 昇)


3.既にビール/ワイン等飲りながら 三々五々久闊を叙しつつ 歓談が始まっていたが
  18:30定刻に 大熊に音頭をとってもらい 全体でまずは乾杯。 

  幹事より 欠席者の消息や会計報告、また安嶋苦心のホームページ まだ見ていない者も
  いようかと 一部ではあるがプリントアウトしたものを 回覧
  (神戸15会10月11日、梅地作品展 田嶋写真展 吉井、安嶋、余田、丸中の寄稿 山本の巡礼記
  森寺の無為庵乃書窓など)。

  15分ぐらい経ったところで スマン、スマンと森寺登場(現在の仕事の都合で遅れた由)
  もう一度乾杯してワイアイガヤガヤ再開。

4.ここで何はともあれ山本の巡礼の話を聞かねば、、、。 丸中なども首をながく
  しているし 山本もワインを控え気味。 

  山本の話は この7月に帰天され マドリードの墓地に眠るディエス神父の追想から。
  我々15期の面々には 今ひとつ記憶に乏しいのだが 
  六甲で数学を教えよく「長崎の鐘」を美声で歌われた由、 
  
  そういえば「長崎の鐘」を歌われた神父さんの記憶がある。
  山本の言葉には同神父への敬愛の情が溢れていた。


  彼の巡礼の旅の話の骨子/概要は ホームページへの寄稿を読むのがなによりと思う。
  ここでは記憶に残った話題の幾つかを記すにとどめたい。

(a) 巡礼には体力と準備が必要
   旅に備え3年間歩く訓練をしたという。 ただ重い荷物を背負って歩く訓練が
   出来ていなかったのが誤算。

   背負う重さは体重の10%が適量で彼の場合7−8Kgがいいところを
   10Kg背負ったため負担が大きくなった。 すっかり足指を痛め苦しむ事となった。

   ご存知のように 山本は立派な身体をしているし 六甲時代は陸上で鍛えている。 
   その彼がへばったのだから 相当厳しい道程だ。 
   彼を含め4人のメンバーは65−68歳。 随分 多くの人に追い越されたそうだ。 
   若い元気者たちにはかなわない。 でもこれは 祈りと思索の旅だ、急ぐ事もあるまい。

(b) 旅での生活は。
   巡礼者は 山小屋のような宿泊所(通常2段ベッド)に泊めてもらう。 
   ボランチア等により 運営されているこの種宿泊所では料金と言うよりも
   感謝のしるしで3-5ユーロをおいて行く。

   しかし夏場は 巡礼者が多く宿泊所は満杯、到着の早い者順で確保に苦労する。
   そこで有料でも 予約の取れる宿泊所を確保しつつ 歩を進める事にしたとのこと。
   (スペイン語のできる同伴者がいてたすかった)。

   食事は ときにレストランを利用する事もあるが 食べ物を店で買って外で 食べる事も多かった様だ。
   道程の厳しさもあり 山本は旅の前後で体重が5kg減った。

   洗濯も大変 荷物を少なくしているので毎日洗わねばならない。
   (電気洗濯機があるのかどうかは聞きもらした。)  
   トイレはどうすのか。 施設のないところは大自然を活用する。

   朝は06:30には出立する。 14:00までに 次の目的地に着かないとシエスタ(昼寝)の
   時間になり昼食が取れない。 毎日6−7時間で20キロ歩く。 
   巡礼路の標高の高低差は 1,500メートル。 
   全体の70%はでこぼこ道。 歩く、、、歩く、、、歩く、、、、。
   
   (要所要所では 荷物だけタクシー等で運ぶ事が可能。 ただアルベルゲと呼ばれる宿泊所は
   荷物を背負っていることが 条件でから手では泊めてくれないらしい。)
   
   山本の説明ではこの旅に要した費用は航空運賃別にして 一日当たり 6,500円。

(c)同伴パートナーとの和
   話の最中に いろいろな質問が山本にとぶ。 加藤から 「以前に中谷一郎と四国の巡礼路を歩いた事があるが
   わずか数日間でもよく諍いをした。厳しい長旅では大変では?」との質問。 
   確かにそうした事もときにあったようだ。 道中ぎっくり腰になった方もおられ

   皆そっれぞれ苦痛をこらえての旅では 気持ちの行き違いも出るだろう。
   しかし 信頼関係と寛容が解決し さしたる障害にはならなかったと見られる。

   (初老の男ばかり4人の旅。 旅の最初のころに女性が一人写真に写っているがあれは誰だ? 
   同伴仲間の一人は在スペインで現地参加、その奥様が途中まで参加された由。)


(d) 目的地に着いて。
   余田だったと思うが「目的地に着いた時 法悦は感じたのか?」と無遠慮な質問。
   法悦という表現には 宗も苦笑い。 
   「3年の準備期間を経て 出発の地 プエンテ・ラ・レイナに 元気に立てた時は 
   幸せと感動、感謝に満たされた。
   目的地 サンチアゴ・デ・コンポステラでは 出発時と同様幸せを噛み締めたが
   特別な感慨はなかった」と山本は言う。

   彼の巡礼記に 「この巡礼を終えた者は人がやさしくなると言われている。 
   巡礼者同士すれ違う時はー 今日は大丈夫かい、頑張ろうねーと言う気持ちで声を掛け合う」と
   彼は記している。 スポーツのようなガッツポーズではなく、また気持ちの昂揚した達成感でもなく
   静かで落ち着いた 安らいだ気持ち、少しは わかる様な気もする。

  活発に質問が飛び交い熱気ある50分だった。旅する人たちの身体の痛みまでは実感出来ないが 
  遠いスペインに思いを馳せ でこぼこ道を リュックを背負って歩く背の高い山本の後姿が
  見えるような気がした ひとときであった。

ー続くー (木下)


5. 丸中と安嶋が順次 東京まで出てきた経緯や近況 巡礼の感想などを話す。
   丸中は1年8ヶ月を30回に分けて 延べ47日1053Kmの長崎巡礼を果たしたつわ者だけに 
   山本の話に興味津々。 

   安嶋も山本の巡礼記に触発され 東京へ出てきたのは上野の動物園にパンダを見に来て以来という。

   丸中の話では 同期の中村が神父として山口にいるとの事。 15期同期に三人も神父がいる事になる。
   (今日は話題が話題だし 宗はともかく別にしても 真っ直ぐで信仰心の篤い 山本 丸中 余田等の面々ー
   ほかに名前が抜けていたら失礼ご容赦ーと顔をあわせていると 小生をはじめ信仰心の薄い輩は
   いささかうしろめたく尻がこそばゆいが 同期生の徳の余恵で なにやら良いことがありそうな気もしてくる)

   丸中が 五代から皆に渡すように頼まれた 文書を忘れてきたので後日郵送すると言う。
   六甲75周年校舎改築に係る寄付の事らしい)。 
   彼から本件に関する神戸15会のサポートの状況報告あり。 
   (本会お開きの直前に話し合い 東京は会合の回数少なく実効は小さいが 要はサポートしようという
   精神の問題だと言う事で 12人より千円づつ集め12,000円 飯田の管理する勘定に送ることにした)

   安嶋が運営してくれている15期HP結構費用がかかっているだろう、
   会で負担しなくていいのかという意見も出たが そんな事より積極的に投稿して欲しいとの
   安嶋の弁で話はそのままに。


6.森寺のホームページが進化している。なにやら 難しく深みに入っていくような気もする。
  今後について聞いてみた。 「とにかく好きなので面白い、楽しみながらやっている、

  次は北斎に取り掛かる」とのこと。 (そういえば10月25日より東京国立博物館で
  北斎展が開かれる) 彼の部屋には大量の書物、 ハイファイやPC 
  最新のi-podなど整えられ 音楽など楽しみながら悦に入っているようだ。

  丸中いわく「森寺の家を見学する会を企画しよう!!」


7.浮世離れした話が続いたので大阪第三セクターコンサルタントの鎌田に最新の
  プロジェクトについて聞く。 前回にも少し触れた原子力エネルギーの活用、
  そのための 教育事業など着々と進んでいるようだ。


8.六甲の卒業生として常識程度には知っておこうと 新教皇(ベネディクト16世)と
  その周辺 その影響などについて 宗に話をして貰った。
  ヴァチカンに関する小噺などはじめて宗から聞いた。
  こうした小噺は宗から聞いて面白いのでここでは割愛する。
  (今日は宗の講義日で 一般教養科目で本居宣長の話をしたとの事。
  どんな話をされたのか興味があったが 時間なく聞きそびれてしまった。)


9.再び昔話などの歓談になる。サッカー部だった加藤とサッカー好きの高田が 
  サッカーの 飛びぬけてうまかった 神父の先生を思い出そうとするが
  名前がなかなか出てこない。

  安本と宮本はひたすらにワインを飲む。 宮本はよく海外旅行をするが 
  アイスランドの旅から帰ったばかりらしい。 

  丸中が明日の行事に出席の為どうしてもこの日帰らねばならぬと言う事で
  最終の新幹線に 間に合うよう別れを惜しみつつ 20:40に会場を出る。

  高田も筑波は遠いので21:00には立つ。時間の経つのは早い 
  21:10には次回の日時を決め 再開を期してお開きに。


10. 次回第17回東京15会   2006年4月19日(水)
    校舎改修工事の為 ソフイアンズクラブは利用できなくなるので 次回は別の会場で。


  愉快な2時間半であった。 10代の頃の同期生との交流は 加齢とともにだんだん頑固に
  なって行くこころを やわらかく解きほぐしてくれる。 
  最近すこし耳が遠くなったようで 小さな声が聞き取りにくい。 
 
  この報告を赤ワインを飲みながら記している。聞き違い、思い違いなど失礼あればご容赦あれ。                 
                                      
以上

木下 記