サンチィアゴ巡礼

2005/8/3 - 9/3   山本 順


 
安嶋兄へ、 いつも美しいホーム・ページを楽しんでいます。
いつもは見るばかりなので 今回は見ていただこうと思い、

去る8月3日から 9月3日までの32日間、 スペイン北部のサンチャゴ巡礼路680キロを、
大学 学生寮時代の 友人らと4人で歩いたときの記録写真の一部を送ります。

出発前の7月15日、宗神父にミサをお願いし 旅の祝福をうけた。
7月26日、成田を経ち、マドリード、サラマンカ、サン・セバスチャンなどで 時差ボケやら
体調を整えるために 一週間を過ごした後、

8月3日、ピレネー 山脈の スペイン側西ふもとに近い プエンテ・ラ・レイナを出発。
この場に自分が 立っていることに わけも無く幸せを感じる。
今日のために 3年間少しずつ歩きの 練習を行ってきた。
健康な身体を与えられたことに 心からの感謝。

しかし、3日目、両足裏に大きなマメが出来た。
その後、マメをかばう為に 靴の中で 自然に指を立てて歩く。
痛みを仲間には知られたくない。
5日目、とうとう両足とも 小指の爪が完全にはがれた。右の中指の爪も浮き上がっている。
仲間には隠して いるが、歩き方がおかしい。全く予想していなかった自分の不覚。    

                              
プエンテ・ラ・レイナ出発 たまには高級レストランで、ナヘラにて
ドイツの若者グループと ベロラドで自転車のスペイン若者グループ

 
3年間も歩く練習はしてきたが、10キロ近くのザックを背負って 歩いたのは、
出発 前の1ケ月程度しかなかった。ザックの重みが足に来たのだ。
剥がれた爪の上から バンドエイドを、さらにテープで巻いて止める。
この状態で ともかく最初の190キロ地点ブルゴスを通過。

小指の状態はさらに悪化。爪はもと より指の腹、指の側面の厚皮が、
帽子を脱ぐときのように、裁縫の時に使う指サック を 抜き取るときのように、
ゴッソリ取れて 赤い肉が丸見えになる。

一日平均20キロを 休み無く毎日歩き続ける。もう歩くのを断念せばならないのと  この時は思った。
仲間には本当のことは言えないが、歩く様子で相当に痛いことは 分ってしまう。
仲間の一人が、次の村で、次の町で、バスに乗るかタクシーを呼ぼうと、 毎日のように何度も何度も言う。
とんでもない、歩くために来たのだと、聞いて聞かぬ ふり。

一日歩き終わって靴下を脱ぐととたんに ハエがたかる。持参のイソジン液で洗い 流して消毒。
抜け落ちた爪と 帽子のような皮膚を、再び指の先にかぶせてバンド・ エイドで止めた。
指先のクッションのためである。こうしなと翌日が歩けない。

幸いなことに、出発前、通院していた歯医者が 万一の時にと言って持たせてくれた
歯茎のための 抗生物質と消炎剤を 飲んだおかげだと思うが、化膿はしなかったし、
次第に新しい爪と皮が 肉の上を覆ってくれた。
   


ブルゴスへ向う 本当にすばらしいフランス人家族だった、
カリオン・デ・ロス・コンデスにて
カリオン・デ・ロス・コンデス、毎朝暗いうちから歩き始める ハンガリーからの一人旅、度々出合った
牛の群れと出会う、エルブルゴ・ラネロにて 最難関オ・セブレイロ峠にて一泊

 
370キロ地点レオンでは 7割がた 回復した。
その後も順調に回復、最難箇所オ・セブレイロ峠、ポイオ峠を越えた。
8月27日、歩き始めて23日が過ぎていた。

その後は大した登り下りはない 比較的平坦な道。
そして32日目の9月3日、目的地の サンチャゴ・デ・コンポステラに とうとう到着。

特別な感慨はなかった。 この巡礼を終えた者は 人がやさしくなると、一般的に言われている。
痛さ、苦しさを体験したものは誰でも、他人の痛さ、苦しさも自分のことのように理解 できるようになる。
だから、世界中からこの路に来て 歩く巡礼者同士は、何度すれ違っても
”Buen Camino”と 互いに声を掛け合う。

単に「よい旅を」ではなく 「今日は大丈夫かい、 頑張ろうネ」という心が込められているのだ。
また、行く先々で 地元の多くの人々の親切に 出会った。
自分も他人に対し、自分のことのように やさしくありたいものだ。
   



サン・シル村の入口 パラスデレイの宿の父娘と
最終日の朝、モンテ・ド・ゴソ歓喜の丘 目的地サンチャゴ到着
 
最後に、信者らしいところを 記しておくことにする。
今回の巡礼の道は「祈りの道」その ものだった。
普段は大した祈りもしたことがない 実にいいかげんな生活をしているのだが、
今回に限り猛烈に祈った。

それもはじめ頃は 「この痛みを何とかしてください。何とか歩かせ てください」というものだった。
それが、痛み苦しみが増すにつれて中身が変わっていった。
「十字架の苦しみに比べれば 万分の一にも値しない痛み苦しみですが お奉げします。
どうか お受とりください」と。

巡礼路が終わって サンチャゴ・デ・コンポステラに着いた時、
出発の日 と同じように幸せをかみ締めた。

帰国前の9月7日、マドリードのイエズス会の 墓地に眠る デイエス神父の墓を訪れた。
師は昔、 六甲で数学を教え、「長崎の鐘」を美声で歌っておられた。

巡礼出発前の7月28日に 病床の 師を見舞ったが、翌29日午前5時 安らかに帰天された。  

  山本 順
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Camino de Santiago



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