初登り 15/01/05
今年初めて シュラインロードを通り
六甲山へ登る
日陰には 雪が少し残っていた
シュラインロードの六甲越えの道は,江戸時代中期に北摂から灘へ出る道として開かれ, 唐櫃道,行者道などと呼ばれていた.(もともとは間道で,幕府の認める道ではなかった. 幕府は, 北摂→有馬→宝塚→西宮→灘のルートを公式街道としていた.) 役行者を祭る行者堂のあるこの道には,こんな話が伝わる. ―鬼神や山犬が出るこの道を夜間に越えるには,唐櫃村の四鬼家で火縄を授からねばならない. ところが,江戸時代末期のあるとき ,御影に住む男がこの禁を破ったところ, 翌朝,山中で死んでいるのが見つかった―. この四鬼家は,今も唐櫃に現存している. また,この山道を通る人はよく野盗や追い剥ぎに襲われて命を落とす人も少なくなかった. これら犠牲者の供養と道中の安全を願い,1825(文政八)年地元の人達によって 西国三十三箇所に因んで,三十三体の観音石像を道沿いに建立した. 後には大日如来など「番外」も加わ り,三十三を超える石像の道になった. 明治に入って六甲山上に外国人が住むようになると 彼らは祠の並ぶこの道を好んで歩きシュライン(神社)ロードと呼ぶようになり, 現在もその名で呼ばれている. |